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エセ- (1) 単行本 – 2005/10/1
ミシェル ド モンテーニュ
(著),
宮下 志朗
(翻訳)
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- 本の長さ333ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2005/10/1
- ISBN-104560025746
- ISBN-13978-4560025741
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商品の説明
出版社からのコメント
ミシェル・ド・モンテーニュは、16世紀フランスの思想家、モラリストである。彼が残した『エセー(随想録)』は、古典知識の集大成であると同時に、知識人の教養書として古くから受け入れられ、その真理探究の方法、人間認識の深さによってデカルト、パスカルなどの思想家に影響を与え、今日にいたるまで古典的な名著として多くの人々に読みつがれている。
「わたしは何を知っているのか(ク・セ・ジュ)?」という句は、モンテーニュの言葉であるが、人間の理性、判断力、知識には限界があることを謙虚に認め、試行錯誤を恐れずに真理を追究しようとしたモンテーニュの思想をよく表している。
新訳にあたり、訳者の宮下氏は以下のように記している。「わたしの基本方針は、とにかく、すっきりした気分で読み進められるような訳文をこころがけること。もちろん、モンテーニュ自身が、すっきりした書き方をしているわけではないから、このあたりは、かなり綱渡り的な作業になるのは仕方のないところ。それでも、なんとかして清新な訳文を構築して、次の世代に、この人生の書を確実に伝えたい」
一例を次にあげよう。「どこで死が待ちかまえているのか、定かでないのだから、こちらが、いたるところで待ち受けよう。死についてあらかじめ考えることは、自由について考えることにほかならない。死に方を学んだ人間は、奴隷の心を忘れることができた人間なのだ。」
モンテーニュのイメージを一新する平易かつ明晰な訳文で古典を楽しもう。
「わたしは何を知っているのか(ク・セ・ジュ)?」という句は、モンテーニュの言葉であるが、人間の理性、判断力、知識には限界があることを謙虚に認め、試行錯誤を恐れずに真理を追究しようとしたモンテーニュの思想をよく表している。
新訳にあたり、訳者の宮下氏は以下のように記している。「わたしの基本方針は、とにかく、すっきりした気分で読み進められるような訳文をこころがけること。もちろん、モンテーニュ自身が、すっきりした書き方をしているわけではないから、このあたりは、かなり綱渡り的な作業になるのは仕方のないところ。それでも、なんとかして清新な訳文を構築して、次の世代に、この人生の書を確実に伝えたい」
一例を次にあげよう。「どこで死が待ちかまえているのか、定かでないのだから、こちらが、いたるところで待ち受けよう。死についてあらかじめ考えることは、自由について考えることにほかならない。死に方を学んだ人間は、奴隷の心を忘れることができた人間なのだ。」
モンテーニュのイメージを一新する平易かつ明晰な訳文で古典を楽しもう。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (2005/10/1)
- 発売日 : 2005/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 333ページ
- ISBN-10 : 4560025746
- ISBN-13 : 978-4560025741
- Amazon 売れ筋ランキング: - 106,494位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 28位フランスのエッセー・随筆
- - 83位フランス・オランダの思想
- - 194位西洋哲学入門
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年11月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
モンテーニュのエセーを初めて手にしたのは、30歳手前だったと記憶しています。その当時、エセーを手にした理由は、パスカルが彼の著書「パンセ」のなかで、モンテーニュを厳しく批判・中傷(ほとんど馬鹿扱い)していたからです。かのパスカルがそれほどまで意識していた人物に興味を持ちました。岩波文庫のエセーは素晴らしい訳です。ところが、果たして、この新訳のエセーを読むと、私の頭のなかにゆったりと落ち着いたモンテーニュの声がこだまするのです(これは比喩です)。素晴らしい訳だと思います。新訳エセーのなかにちりばめられたモンテーニュの言葉にウィットを感じました。僭越ながら、モンテーニュは物書きの達人ですね。文章の組み立ても素晴らしく、ときは脚本と似た3部構造だったり、そして最後には、落語でいうところの「落ち」のセリフが私の心を爽快にさせるのです。
2018年6月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第1巻は最初の方は、とても短い章が多く、ローマの古典の引用や事件の後に一言感想がつくスタイルが多い。やはり長い章が面白い。思いをかけた女性と始めての夜を迎えると、緊張して不能に終わってしまうケースが多いとして、その対策について延々と語ったり(その際、どういうわけかもったいをつけて小難しい顔をする女性がままいるが、あれはいただけない、と文句を言ったり)する。また、死について多くの考察をしているが、敬虔なカトリックであるはずなのに、死後の世界や魂の不滅を語らず、まるで死ねば無に帰すと信じる無神論者のようであるのが興味深かかった。多くの人が本巻最終章に収められた長い教育に関する手紙を論じているが、それはそれで納得のいく意見だが、むしろホンネをあからさまにむき出しにした、ある意味で赤裸々な意見が強烈で、昔から読み継がれてきた理由の一端がそんなところにあるのかとも思う。時代性の限界を感じる一言などもあり、良い結婚の第一子は、もちろん後継となる男子に決まっていますなどと言ったりするが、人間特に西洋人は自身の属する世界が第一と思いがちだが、たんにそれは父祖の習慣を引き継ぎそれが第一と思う人間の性質によるのだ、と当時にしては先見的な意見を持ってもいたりする。
2023年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
モームも「あなたの大事な友人となる」として「ドン・キホーテ」と同様にお勧めしている、モンテーニュ「エセー」。
おためしで、安く買えたこの1巻と、図書館で借りてきた岩波文庫版(原二郎訳)の第5巻を読み比べ。
たしかに岩波のより大分すっきりしていて、親しみやすく感じられる。
なんでも既存の原本(a/b/c の記号付き)と異なる本、デカルトやパスカルら昔の哲学者が読んだ本と同じものを1世紀ぶりに採用しているらしい。
岩波のを読むと、まるで大学のテキストで勉強しているかのようで、学術的価値はともかくあまり気軽に楽しめないしスッと頭に入ってこなかった印象。
ところがこの新約だと、「ああ、気まぐれなおっさんのエッセイを読んでいるなぁ」といった気分になるというか、多少は取っつきやすくなっているのではと思う。
これが文庫版で出てくれれば、私は喜んで全巻揃えたいのだが……。
ハードカバー7冊組というのは、価格的にも大きさ的にも、うちの狭い本棚には迎えづらいかなというのが本音である。
でもこれを読んでしまうと岩波版もお勧めしづらいし、悩むところである。
おためしで、安く買えたこの1巻と、図書館で借りてきた岩波文庫版(原二郎訳)の第5巻を読み比べ。
たしかに岩波のより大分すっきりしていて、親しみやすく感じられる。
なんでも既存の原本(a/b/c の記号付き)と異なる本、デカルトやパスカルら昔の哲学者が読んだ本と同じものを1世紀ぶりに採用しているらしい。
岩波のを読むと、まるで大学のテキストで勉強しているかのようで、学術的価値はともかくあまり気軽に楽しめないしスッと頭に入ってこなかった印象。
ところがこの新約だと、「ああ、気まぐれなおっさんのエッセイを読んでいるなぁ」といった気分になるというか、多少は取っつきやすくなっているのではと思う。
これが文庫版で出てくれれば、私は喜んで全巻揃えたいのだが……。
ハードカバー7冊組というのは、価格的にも大きさ的にも、うちの狭い本棚には迎えづらいかなというのが本音である。
でもこれを読んでしまうと岩波版もお勧めしづらいし、悩むところである。
2016年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読みやすい。気楽に読める。
モンテーニュというおっさんが俗物だから、こういう翻訳になるのかな。
6巻まで読んで、1箇所誤植発見。
モンテーニュというおっさんが俗物だから、こういう翻訳になるのかな。
6巻まで読んで、1箇所誤植発見。
2017年10月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書刊行は2005年。「エセー」は16世紀の本である。著者はルネッサンス期を代表するフランスの哲学者。
曰く・・・
自分のなすべきことをして、自分自身を知れ(セネカ)。
君主の行為は死後でないと吟味してはならない。君主は法の主人ではないまでも、その仲間である。
目標のない魂は、さまようしかない。どこにでもいるということは、どこにもいないこと。暇は、いつだって精神を移り気にしてしまう。
他人とのコミュニケーションによって何かを学びたいから(これは最高の学校のひとつ)、話している相手がもっともよく知っていることがらに話題をもっていくようにしている。
哲学することとは、死に備えること(キケロ)。深く学び、思索することが、われわれの精神を、少しばかりわれわれの外に引き出して肉体とは離れたかたちで働かせるために、いわば、死の修行ないし死の模倣となるから。
哲学する連中がなんと言おうと、われわれの究極の目標は快楽である。快楽なるものは、がっしりと力強く、たくましくて、雄々しくあればあるほど、それだけで本当に心地よい。
習慣のおよばないことがらもなければ、習慣をもってしてはなしえないこともない。
子どもの精神を鍛えるだけでは十分ではなく、筋肉もまた鍛えてやらなければならない。肉体の助けがないと精神に圧力がかかりすぎてしまう。
みたいな話。
曰く・・・
自分のなすべきことをして、自分自身を知れ(セネカ)。
君主の行為は死後でないと吟味してはならない。君主は法の主人ではないまでも、その仲間である。
目標のない魂は、さまようしかない。どこにでもいるということは、どこにもいないこと。暇は、いつだって精神を移り気にしてしまう。
他人とのコミュニケーションによって何かを学びたいから(これは最高の学校のひとつ)、話している相手がもっともよく知っていることがらに話題をもっていくようにしている。
哲学することとは、死に備えること(キケロ)。深く学び、思索することが、われわれの精神を、少しばかりわれわれの外に引き出して肉体とは離れたかたちで働かせるために、いわば、死の修行ないし死の模倣となるから。
哲学する連中がなんと言おうと、われわれの究極の目標は快楽である。快楽なるものは、がっしりと力強く、たくましくて、雄々しくあればあるほど、それだけで本当に心地よい。
習慣のおよばないことがらもなければ、習慣をもってしてはなしえないこともない。
子どもの精神を鍛えるだけでは十分ではなく、筋肉もまた鍛えてやらなければならない。肉体の助けがないと精神に圧力がかかりすぎてしまう。
みたいな話。
2023年6月26日に日本でレビュー済み
モンテーニュの「エセー」が現代日本人の心を打つのは、ルネサンス期西欧知識人の独白というよりも、その内容がギリシア、ローマの古典的な叡智の宝庫であり高い普遍性を備えているからだと思います。
モンテーニュは、幼少期からラテン語を徹底的に教育され、古典に通暁していました。そして人類の本当の叡智は(キリスト教を尊重しつつも)古典の中にあることを確信しており、常に古典を鏡として自己を探求しています。彼が引用する古典の幅広さと目配りの良さはルネサンス期であることを考えると驚くべきものであり、同時にその教養に基づく考え方や判断は極めて現代的です。(たとえばブラジルの未開人に対する態度などはレヴィ=ストロースも称賛しているほどです。)
パスカルがモンテーニュを常に敵視し揶揄したのも古典に関する教養ではモンテーニュに敵わないという劣等感や嫉妬心からだと思います。パスカルは、モンテーニュと比較してしまうと、人文学の分野においては「小利口」の域をでません。
したがって、西洋の本当の底力を知りたい方にとって、このモンテーニュの「エセー」は魅力的な書物だと思います。宮下氏の翻訳は読みやすく注も親切であり、おすすめです。
モンテーニュは、幼少期からラテン語を徹底的に教育され、古典に通暁していました。そして人類の本当の叡智は(キリスト教を尊重しつつも)古典の中にあることを確信しており、常に古典を鏡として自己を探求しています。彼が引用する古典の幅広さと目配りの良さはルネサンス期であることを考えると驚くべきものであり、同時にその教養に基づく考え方や判断は極めて現代的です。(たとえばブラジルの未開人に対する態度などはレヴィ=ストロースも称賛しているほどです。)
パスカルがモンテーニュを常に敵視し揶揄したのも古典に関する教養ではモンテーニュに敵わないという劣等感や嫉妬心からだと思います。パスカルは、モンテーニュと比較してしまうと、人文学の分野においては「小利口」の域をでません。
したがって、西洋の本当の底力を知りたい方にとって、このモンテーニュの「エセー」は魅力的な書物だと思います。宮下氏の翻訳は読みやすく注も親切であり、おすすめです。
2005年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
岩波文庫でエセーは20年前から 折に触れて読んでいる。高校生だった20年前に本書を読もうとした自分自身がいかに生意気であったかということが最近解った。エセーという本は 読み手に それなりの人生経験を要求する。親のすねを齧っている分際で エセーを読み 論じるというのは所詮不可能であった事が 中年の今になるとはっきり解るが まあ それも青春の特権であろうと苦笑するしかないか。
ということで そんなエセーに新訳が出たというので 思わず買ってしまった。確かにエセーの旧訳には 読みにくいものを感じて来ただけに 読んでみると この新訳ははるかに読み易い。旧訳の原二郎氏を擁護するわけではないが そもそもモンテーニュの原文自体が ちょっとだらだらとしている点は間違いなくある。そこを今回は宮下氏が 思い切った訳で挑戦しているという事だと思う。それに 原氏の時代と今とは日本語自体も変容している点もあるに違いない。いずれにせよ 挑戦的な翻訳は 読んでいても 楽しい。
岩波文庫のエセーのレビューでも書いたが エセーを読むことは「象の散歩」に似ている。ゆっくりとのんびりと一歩一歩歩く象のように 本書を配本に合わせて読んで行きたい。配本を待つ間に 更に人生経験が増し より深く読めるとしたら それこそが本を読む醍醐味ではないか。
ということで そんなエセーに新訳が出たというので 思わず買ってしまった。確かにエセーの旧訳には 読みにくいものを感じて来ただけに 読んでみると この新訳ははるかに読み易い。旧訳の原二郎氏を擁護するわけではないが そもそもモンテーニュの原文自体が ちょっとだらだらとしている点は間違いなくある。そこを今回は宮下氏が 思い切った訳で挑戦しているという事だと思う。それに 原氏の時代と今とは日本語自体も変容している点もあるに違いない。いずれにせよ 挑戦的な翻訳は 読んでいても 楽しい。
岩波文庫のエセーのレビューでも書いたが エセーを読むことは「象の散歩」に似ている。ゆっくりとのんびりと一歩一歩歩く象のように 本書を配本に合わせて読んで行きたい。配本を待つ間に 更に人生経験が増し より深く読めるとしたら それこそが本を読む醍醐味ではないか。
2016年1月5日に日本でレビュー済み
とても読みやすくモンテーニュの考えがよくわかりました。宮下氏の「とにかく読みやすい日本語に」という思いに感謝です。全7巻を全て読んでみたいという気持ちにさせてくれる名著です!