この作品の日本での売り文句は<スペイン版ロミオとジュリエット>となっていますが、この映画の原作「カリストとメリベアの悲喜劇」が書かれたのが1499年、シェークスピアが「ロミオとジュリエット」を書いたのは1590年代のことです。つまりこの「情熱の処女」のほうが一世紀も早く発表されています。スペイン人の多くはこの映画が自国の古典文学に基づいているということを前提としてこの作品を観ますが、日本の観客はその点でスペイン人と同じスタートラインに立てないでしょう。
「悲喜劇」とある通り、最初の3分の2はシェークスピアでいえば「夏の夜の夢」や「十二夜」といった趣の喜劇です。展開されるのはあまりに純真無垢な若い男女のお伽話のような恋物語。カリストとメリベアが逢瀬の場面で鉄扉越しに互いの胸中を告げあうというくだりがありますが、これは「夏の夜の夢」の劇中劇でピラマスとシスビーが壁越しに恋焦がれる思いを語り合う場面と重なります。この壁越しの恋がやがて「ロミオとジュリエット」のバルコニーの場面へと発展していったのは良く知られています。ということはやはりこの「カリストとメリベアの悲喜劇」が「ロミオとジュリエット」の原型なのでしょう。
ところが終盤3分の1は「オセロ」や「ハムレット」のごとく陰謀うずまく悲恋へと急展開します。メリベアを破滅に追い込む狂気は「ハムレット」のオフェリアを彷彿とさせます。
こんな具合にシェークスピアに与えたであろうと想像するに難くない要素がそこかしこに散りばめられた恋愛悲喜劇です。騙す側があまりに利己的で、騙される側が純真の極みといった感じですから、人物造形に不満を覚えるかもしれません。しかしルネサンス時代以降も欲望と恋愛とが人間にもたらす災厄にはあまり大きな変化がないことをこの映画から感じ取ることが可能なのではないでしょうか。