在日韓国人は、過去のしがらみを忘れて、新たに日本で人生をスタートさせればいいではないか、という論調に聞こえる。しかし日本の詩人も詠っているように「ふるさとは遠きにありて思うもの、そして悲しく詠うもの」という気持ちは、人間の自然な感情ではないだろうか。自分のアイデンティティは簡単に外側から規定されるものではない。
さらに、在日にとって強いトラウマとなっているのは、日本社会の最低辺で貧困を強いられてきたという事実だ。一画千金を夢見て来日したとしても、一世たちの直面した現実は、生活の成り立たない悪条件の労働ではなかったか。この点は、日本政府が自国民に対してとった移民政策と同じで非常な無責任、無計画の上に成り立っている。
現在でも、例えば新架橋といわれる人々が中国から留学などで移り住み、そのまま定住して2世を養育している。2世は当然日本文化、教育の中で育ち、中国へ帰っても、外国人同様であり、就職はママならない。そのような人々は、国家に守ってもらうことは期待できないので、日本の競争社会で勝ち抜くことだけを考えて、子育てしている。
韓国が日本離れしていない、というのであれば、話は飛ぶが文鮮明の「統一教会」を考えてみよ。韓国はアダムの国で日本はエバの国であるから、エバの国の信者は良く働いて霊感商法などで稼ぎ、アダムの国の信者に献金すべきだ、というおかしな教義がまかり通っている。カルト教団にさえ染み亘るこの恨みのエートスを簡単にかたずけることが出来るのだろうか。国家の制度に従って、容易に割り切れるような問題ではない、筆者は弱い立場に立たされた人の気持ちをもう少し、優しく汲み取ってもいいのではないだろうか。

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在日韓国人の終焉 (文春新書 168) 新書 – 2001/4/20
鄭 大均
(著)
韓国への帰属意識も外国人意識も稀薄。この不幸な宙ぶらりん状態は帰化で解消しよう、という在日のあり方への真摯な問題提起の書
- 本の長さ196ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2001/4/20
- ISBN-104166601687
- ISBN-13978-4166601684
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2001/4/20)
- 発売日 : 2001/4/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 196ページ
- ISBN-10 : 4166601687
- ISBN-13 : 978-4166601684
- Amazon 売れ筋ランキング: - 846,071位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 149位在日外国人・残留孤児
- - 520位国際法
- - 1,430位文春新書
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年4月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
世の中には姜尚中、辛淑玉のような声の大きい在日がいますが、これらの意見にはほとんどの日本人には受け入れられないのが現状です。
なぜか?
彼らは在日を「売り」に、飯のタネにしているのがミエミエだからです。
まさか「南北統一が成る」なんて荒唐無稽なことを本人たち自身が本音では考えていませんよ。
現在日本で生活し国籍がなくても「日本人の固有の権利」以外の権利をすべて有しています。
彼らはいつでも韓国に永住することができ、かつ日本によって強制連行されてきた訳ではありません。
日本国籍を取得しないにも関わらず、韓国にも移住しないという姿勢でありながら参政権までよこせというのはあまりに身勝手です。
しかし、いつかは韓国に移住するかも知れない、という人間に参政権など与えられるハズがないではありませんか。
この点、姜尚中、辛淑玉は「日本は異質なものを受け入れない社会だ」などと嘯いていますが、韓国の方がはるかに凄まじい差別社会である、とよく本人たちも理解しているのです。だから日本が嫌いで、あけすけに非難はしても韓国に移住しないのです。筋の通らない話ではあります。
また、誤解なきよう、実は参政権の要求は在日韓国人社会の多数意見ではないのです。
普通の在日はほとんどはそのような傲慢な要求はしていません。
「まあ、くれると言うならもらっとくかぁ」と言った程度のものです。
日本で一生を過ごすつもりであるのに帰化しない理由は色々ですが、在日社会からの疎外の心配、
総連や民団の指導にかなわない、などありますが最も多い理由は「今のままで支障がないから」なのです。
ですが、大方の在日は時期をみて帰化せざるを得ないな、とわかっています。
筆者は、在日自身の幸せ、子供のためにも日本国籍を取ることを強く勧めます。
それは、韓国人と言う民族のアイデンティティーを消失せよ、ということでは決してありません。
国籍を持ち、「コリア系日本人」として堂々と日本社会に発信していこう、とするものです。
対して姜尚中や辛淑玉などの考え方は、日本が差別なく開かれた国になったら帰化も考える、とする積極的なようでいて実に他律的な考えの持ち主たちです。
待っていて自動的に日本が変わりますか?
姜尚中のや辛淑玉のように、被害者的本質主義でヒステリックに叫んで日本人の心が開きますか?
「コリア系日本人」になって、コリア系議員を20人も国会に送り込むほうがよっぽど韓国人が暮らしやすい日本に変えられるのではないですか。また、この方法ならば日本人からだって文句言われる所以はないのです。
筆者の言う事の方が正論なのは明らかです。
すべての在日が読むべき本だと強くお薦めします。
なぜか?
彼らは在日を「売り」に、飯のタネにしているのがミエミエだからです。
まさか「南北統一が成る」なんて荒唐無稽なことを本人たち自身が本音では考えていませんよ。
現在日本で生活し国籍がなくても「日本人の固有の権利」以外の権利をすべて有しています。
彼らはいつでも韓国に永住することができ、かつ日本によって強制連行されてきた訳ではありません。
日本国籍を取得しないにも関わらず、韓国にも移住しないという姿勢でありながら参政権までよこせというのはあまりに身勝手です。
しかし、いつかは韓国に移住するかも知れない、という人間に参政権など与えられるハズがないではありませんか。
この点、姜尚中、辛淑玉は「日本は異質なものを受け入れない社会だ」などと嘯いていますが、韓国の方がはるかに凄まじい差別社会である、とよく本人たちも理解しているのです。だから日本が嫌いで、あけすけに非難はしても韓国に移住しないのです。筋の通らない話ではあります。
また、誤解なきよう、実は参政権の要求は在日韓国人社会の多数意見ではないのです。
普通の在日はほとんどはそのような傲慢な要求はしていません。
「まあ、くれると言うならもらっとくかぁ」と言った程度のものです。
日本で一生を過ごすつもりであるのに帰化しない理由は色々ですが、在日社会からの疎外の心配、
総連や民団の指導にかなわない、などありますが最も多い理由は「今のままで支障がないから」なのです。
ですが、大方の在日は時期をみて帰化せざるを得ないな、とわかっています。
筆者は、在日自身の幸せ、子供のためにも日本国籍を取ることを強く勧めます。
それは、韓国人と言う民族のアイデンティティーを消失せよ、ということでは決してありません。
国籍を持ち、「コリア系日本人」として堂々と日本社会に発信していこう、とするものです。
対して姜尚中や辛淑玉などの考え方は、日本が差別なく開かれた国になったら帰化も考える、とする積極的なようでいて実に他律的な考えの持ち主たちです。
待っていて自動的に日本が変わりますか?
姜尚中のや辛淑玉のように、被害者的本質主義でヒステリックに叫んで日本人の心が開きますか?
「コリア系日本人」になって、コリア系議員を20人も国会に送り込むほうがよっぽど韓国人が暮らしやすい日本に変えられるのではないですか。また、この方法ならば日本人からだって文句言われる所以はないのです。
筆者の言う事の方が正論なのは明らかです。
すべての在日が読むべき本だと強くお薦めします。
2005年2月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本で生まれ、日本で育ち、死ぬまで日本で過ごす在日朝鮮人。その自分の子孫たちも日本で生きることを望むなら、日本人として帰化すればいい。
そういった主張を本書のなかで著者は述べている。
ただそいうった主張が、なんとも不自然にとられてしまう。不思議な国、日本である。
帰化した人間が国政の場にも議員として参加する昨今、朝鮮系日本人という言葉を生み出せばいいと思う。
中身は、在日韓国人の本国である韓国での差別的扱いや、韓国を訪れる際に気づく異文化としての韓国、永住権を放棄し韓国に移住するものがいかに少数であり、彼らが日本人としての文化を身につけている様を描いている。
最後に、帰化申請の手続きを大幅に簡略化する著者の私案が出ているが、全面的に賛成である。
戦後60年を2005年で迎える。最早、彼らが日本に存在するのは、紛れもなく彼ら自身の意思であろう。
そういった主張を本書のなかで著者は述べている。
ただそいうった主張が、なんとも不自然にとられてしまう。不思議な国、日本である。
帰化した人間が国政の場にも議員として参加する昨今、朝鮮系日本人という言葉を生み出せばいいと思う。
中身は、在日韓国人の本国である韓国での差別的扱いや、韓国を訪れる際に気づく異文化としての韓国、永住権を放棄し韓国に移住するものがいかに少数であり、彼らが日本人としての文化を身につけている様を描いている。
最後に、帰化申請の手続きを大幅に簡略化する著者の私案が出ているが、全面的に賛成である。
戦後60年を2005年で迎える。最早、彼らが日本に存在するのは、紛れもなく彼ら自身の意思であろう。
2007年7月4日に日本でレビュー済み
1.結論―長所星4つ、短所星2つ、全体として星3つ
2.この本の長所
国籍問題を中心とした在日韓国人の特異性、平成13年時点で国籍は取得しやすいこと、など、有益な情報が多いところ。
3.この本の短所
書き方が拙い。私なら、国籍取得の容易性、外国における参政権の現状(本書より詳しく)などを強調し、在日韓国人などの非難は分量を少なくするだろう。本来読んでもらうべき在日韓国人はどう思うだろうか。あと、議論の展開に難があるところが多い(一例を挙げると、小錦やラモスは例として不適当。在日韓国人より国籍取得が切実だから(親方株や外国人枠の問題))。
2.この本の長所
国籍問題を中心とした在日韓国人の特異性、平成13年時点で国籍は取得しやすいこと、など、有益な情報が多いところ。
3.この本の短所
書き方が拙い。私なら、国籍取得の容易性、外国における参政権の現状(本書より詳しく)などを強調し、在日韓国人などの非難は分量を少なくするだろう。本来読んでもらうべき在日韓国人はどう思うだろうか。あと、議論の展開に難があるところが多い(一例を挙げると、小錦やラモスは例として不適当。在日韓国人より国籍取得が切実だから(親方株や外国人枠の問題))。
2022年5月18日に日本でレビュー済み
著者は在日韓国人二世。アメリカのUCLAで学び、韓国の大学で長く教え、いまは日本の大学の教員をしているという経歴を持つ人。本書の帯には、「おわりに」からの次の文章が引用されている。
"在日韓国人が日本で生活していることに深い意味や特別な意味はない。在日の一世たちは朝鮮半島よりは日本を生活の地として選択したのであり、その子孫である私たちもそれを受容しているだけのことである。つまり、在日韓国人は「永住外国人」などという宙ぶらりんな存在としてよりは、日本国籍を取得して、この社会のフル・メンバーとして生きていけばいいのであり、そのために必要なら帰化手続きの弊を指摘すればいいのである。本書は在日が存在理由をなくすために書いた本である。"
というふうに、きわめてポレミックで挑発的な内容である。『コリアン世界の旅』は在日コリアンをグローバルな視点から捉え直すという試みをする本だったが、本書の著者はアメリカと韓国での生活体験を経て、実際にグローバルな視点から発言をしている。『〈在日〉という生き方』という本は、従来の在日コリアン論を高い視点からまとめ、それらを乗り越えようとする試みだったが、本書はさらにラディカルな地点に立っている。差別論という点でいうと、小浜逸郎の『「弱者」とはだれか』の論点と同質な部分があり、したがって、被差別部落問題について似たようなことを述べている人々(『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』の灘本昌久や『「部落史」の終わり』の畑中敏之など)と似たような地点に立っている。
私は在日コリアンの問題を細かくフォローしているわけではないので、現状の議論がどのような水準にあるのかを知らないのだが、本書で引用されているさまざまな文章を見る限り、この手の議論が行えるフィールドはいちおう存在しているようだ。ただ、本書で著者がかなり攻撃的な論調を使っていることからもわかるように、一般的な風潮はやはり依然として旧来の差別論の水準にあるということなのだと思われる。著者が在日韓国人でない「日本人」であったら、文藝春秋といえども本書を出版するのには躊躇しただろうし、出版後のバッシングは凄いものになっただろう。その意味で、この議論は在日コリアンが(あるいは別の国の人が)この水準まで持ってくるしかない、あらかじめ参加者の限定された議論なのである。そしてここまで来て初めて、在日コリアンの問題は世界の他の地域におけるマイノリティの問題と同じレベルで議論できるようになる。
なお、この問題についての個人的な見解。本書の著者もいくつかのコンテキストで言及しているように、二世以降の在日コリアンの多くは、通俗的な日本人論でいうところの「日本人」以外の何者でもない。これは韓国、あるいは第三国(特にアメリカやヨーロッパ)に長く住んだ在日コリアンの多くが表明している心情である。著者が指摘している、日本国籍を取得せずに韓国(または朝鮮)籍のまま過ごすこと自体が、日本的な社会のあり方によりかかった振る舞いであるという言い方は(論争的に過ぎると思わないでもないものの)なかなか鋭いとは思うけれども、日本人である私としては、そういうあり方が許容されてもいいんじゃないかと思う。著者はアカウンタビリティという言葉を使っているが、そういう首尾一貫性が要求されないということは、日本社会の美徳の1つでもあるわけである(著者は、それが在日コリアンをスポイルしていると主張している)。
しかしどちらにせよ今後、日本社会が外国人労働者を積極的に受け入れるようになれば、在日コリアンの問題の焦点はシフトせざるをえない。在日コリアンは「日本人」以外の何者でもないという認識が普及するか、他のマイノリティ・グループとの対立関係に入るかのどちらかになる。この点で、著者がかなりの反感を抱いているように思われる日本の「多民族文化」とか「多様化」を唱える人々の少なからずが、大きな勘違いをしているように思う。グローバル・スタンダードな意味で「多民族文化」が進んだときに待ち受けるのは、マイノリティ・グループが互いに利益を求めて対立しあい、ヘイト・クライムが活発化する社会であり、「共生」というような言葉から連想されるユートピア的な社会ではおそらくない。個人的には、上に書いた日本社会の美徳である一種の曖昧さが、そのような「共生」の担保となりうるかもしれないとは思っているのだが、あまり確信はない(現状がまさにそのような状態であると言う人はいるかもしれない)。いずれにせよ、この動きはすでに始まっているし、いろいろな要素を勘案するに逆行は不可能である。本格的に民族的多様化が進んだとき、従来の在日コリアン的なあり方は「日本人」以上に保守的なものとして立ち現われ、本書の著者は本書ほど挑戦的な態度をとらずに自らの考えを述べられるようになるだろう。
"在日韓国人が日本で生活していることに深い意味や特別な意味はない。在日の一世たちは朝鮮半島よりは日本を生活の地として選択したのであり、その子孫である私たちもそれを受容しているだけのことである。つまり、在日韓国人は「永住外国人」などという宙ぶらりんな存在としてよりは、日本国籍を取得して、この社会のフル・メンバーとして生きていけばいいのであり、そのために必要なら帰化手続きの弊を指摘すればいいのである。本書は在日が存在理由をなくすために書いた本である。"
というふうに、きわめてポレミックで挑発的な内容である。『コリアン世界の旅』は在日コリアンをグローバルな視点から捉え直すという試みをする本だったが、本書の著者はアメリカと韓国での生活体験を経て、実際にグローバルな視点から発言をしている。『〈在日〉という生き方』という本は、従来の在日コリアン論を高い視点からまとめ、それらを乗り越えようとする試みだったが、本書はさらにラディカルな地点に立っている。差別論という点でいうと、小浜逸郎の『「弱者」とはだれか』の論点と同質な部分があり、したがって、被差別部落問題について似たようなことを述べている人々(『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』の灘本昌久や『「部落史」の終わり』の畑中敏之など)と似たような地点に立っている。
私は在日コリアンの問題を細かくフォローしているわけではないので、現状の議論がどのような水準にあるのかを知らないのだが、本書で引用されているさまざまな文章を見る限り、この手の議論が行えるフィールドはいちおう存在しているようだ。ただ、本書で著者がかなり攻撃的な論調を使っていることからもわかるように、一般的な風潮はやはり依然として旧来の差別論の水準にあるということなのだと思われる。著者が在日韓国人でない「日本人」であったら、文藝春秋といえども本書を出版するのには躊躇しただろうし、出版後のバッシングは凄いものになっただろう。その意味で、この議論は在日コリアンが(あるいは別の国の人が)この水準まで持ってくるしかない、あらかじめ参加者の限定された議論なのである。そしてここまで来て初めて、在日コリアンの問題は世界の他の地域におけるマイノリティの問題と同じレベルで議論できるようになる。
なお、この問題についての個人的な見解。本書の著者もいくつかのコンテキストで言及しているように、二世以降の在日コリアンの多くは、通俗的な日本人論でいうところの「日本人」以外の何者でもない。これは韓国、あるいは第三国(特にアメリカやヨーロッパ)に長く住んだ在日コリアンの多くが表明している心情である。著者が指摘している、日本国籍を取得せずに韓国(または朝鮮)籍のまま過ごすこと自体が、日本的な社会のあり方によりかかった振る舞いであるという言い方は(論争的に過ぎると思わないでもないものの)なかなか鋭いとは思うけれども、日本人である私としては、そういうあり方が許容されてもいいんじゃないかと思う。著者はアカウンタビリティという言葉を使っているが、そういう首尾一貫性が要求されないということは、日本社会の美徳の1つでもあるわけである(著者は、それが在日コリアンをスポイルしていると主張している)。
しかしどちらにせよ今後、日本社会が外国人労働者を積極的に受け入れるようになれば、在日コリアンの問題の焦点はシフトせざるをえない。在日コリアンは「日本人」以外の何者でもないという認識が普及するか、他のマイノリティ・グループとの対立関係に入るかのどちらかになる。この点で、著者がかなりの反感を抱いているように思われる日本の「多民族文化」とか「多様化」を唱える人々の少なからずが、大きな勘違いをしているように思う。グローバル・スタンダードな意味で「多民族文化」が進んだときに待ち受けるのは、マイノリティ・グループが互いに利益を求めて対立しあい、ヘイト・クライムが活発化する社会であり、「共生」というような言葉から連想されるユートピア的な社会ではおそらくない。個人的には、上に書いた日本社会の美徳である一種の曖昧さが、そのような「共生」の担保となりうるかもしれないとは思っているのだが、あまり確信はない(現状がまさにそのような状態であると言う人はいるかもしれない)。いずれにせよ、この動きはすでに始まっているし、いろいろな要素を勘案するに逆行は不可能である。本格的に民族的多様化が進んだとき、従来の在日コリアン的なあり方は「日本人」以上に保守的なものとして立ち現われ、本書の著者は本書ほど挑戦的な態度をとらずに自らの考えを述べられるようになるだろう。
2007年9月29日に日本でレビュー済み
この本の著者は韓国語を話せるので、自分は韓国人だと考えているみたいです。そのうえで、韓国語を話せない在日は日本国籍をとり日本人として生きるべきだと考えているみたいです。しかし、帰化することも自由なら、韓国語を話せないこと、祖先の文化・言語から切り離されてしまった状況を含めて「不透明な」在日朝鮮人であることをうけとめる選択をすることも、また自由ではないでしょうか。
他の選択をした人からとやかく言われる筋合いは、まったくないのです。また、おそらく日本国籍をとることが、彼の主張するように、在日朝鮮人のすべての生活上の不利益を解消することにもなるかと言えばならないでしょう。国籍ではなくあくまで出自への差別が歴然とマジョリティの意識にあることは明らかです。 著者は在日は日本国籍をとらなければ日本社会で普通の人間として行きていけないとの結論に達したようですが、どのような選択をしたとしても「普通」の人間であることに変わりはありません。
他の選択をした人からとやかく言われる筋合いは、まったくないのです。また、おそらく日本国籍をとることが、彼の主張するように、在日朝鮮人のすべての生活上の不利益を解消することにもなるかと言えばならないでしょう。国籍ではなくあくまで出自への差別が歴然とマジョリティの意識にあることは明らかです。 著者は在日は日本国籍をとらなければ日本社会で普通の人間として行きていけないとの結論に達したようですが、どのような選択をしたとしても「普通」の人間であることに変わりはありません。
2004年6月21日に日本でレビュー済み
著者の鄭氏自身、在日韓国人だが、
日本人に対するルサンチマンやバイアスがかった
批判なしに、在日韓国人のあくまで「現在」
を語ろうとする点に好感が持てる。
が、在日の人々の生活に直接取材するのではなく、
新聞・雑誌等の活字メディアに登場した在日関連の
記事を資料として、在日の現状を分析しようとする
方法論にやや疑問が残る。
それらはすでにある加工が加えられた情報である。
もう少し、鄭氏自らの実体験から、生きた在日の人々の
姿が語られた方が、この本全体の説得力を増すように思った。
日本人に対するルサンチマンやバイアスがかった
批判なしに、在日韓国人のあくまで「現在」
を語ろうとする点に好感が持てる。
が、在日の人々の生活に直接取材するのではなく、
新聞・雑誌等の活字メディアに登場した在日関連の
記事を資料として、在日の現状を分析しようとする
方法論にやや疑問が残る。
それらはすでにある加工が加えられた情報である。
もう少し、鄭氏自らの実体験から、生きた在日の人々の
姿が語られた方が、この本全体の説得力を増すように思った。