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活動家一丁あがり! 社会にモノ言うはじめの一歩 (NHK出版新書) 新書 – 2011/3/8
湯浅 誠
(著),
一丁あがり実行委員会
(著)
活動は楽しい!
貧困、差別、過労、孤独……。
生きづらい時代だからこそ大切な、
市民一人ひとりが声を発信し、
社会を動かしていくための方法と勇気を与えるアクチュアルな1冊!
「より生きやすい『場』をつくる人」――貧困問題の現場で活動する湯浅誠は、今、真に必要な「活動家」をそう定義する。
生きづらい社会を少しでも変えたいと思うとき、人は誰もが「活動家」たらざるを得ないのだ。
本書は、特別講座「活動家一丁あがり!」の記録を通して、
市民一人ひとりが、自らの問題意識の中から声を発信し、
社会を動かしていく方法と勇気を与える一冊である。
貧困、差別、過労、孤独……。
生きづらい時代だからこそ大切な、
市民一人ひとりが声を発信し、
社会を動かしていくための方法と勇気を与えるアクチュアルな1冊!
「より生きやすい『場』をつくる人」――貧困問題の現場で活動する湯浅誠は、今、真に必要な「活動家」をそう定義する。
生きづらい社会を少しでも変えたいと思うとき、人は誰もが「活動家」たらざるを得ないのだ。
本書は、特別講座「活動家一丁あがり!」の記録を通して、
市民一人ひとりが、自らの問題意識の中から声を発信し、
社会を動かしていく方法と勇気を与える一冊である。
- 本の長さ232ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2011/3/8
- ISBN-10414088343X
- ISBN-13978-4140883433
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商品の説明
著者について
●湯浅 誠(ゆあさ・まこと
1969年、東京都生まれ。
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。
現在、「反貧困ネットワーク」事務局長、
「NPO法人 自立生活サポートセンター・もやい」事務局次長、内閣府参与。
著書に『反貧困』(岩波新書、大佛次郎論壇賞)など。
一丁あがり実行委員会(かつどうかいっちょうあがりじっこういいんかい)
新たな時代の活動家養成のために2009年5月よりスタートした特別講座「活動家一丁あがり!」を運営する活動家集団。
湯浅誠をはじめ9名で構成(河添誠/松元千枝/熊谷伸一郎/内田聖子/京野楽弥子/赤石千衣子/須田光照/土屋トカチ 2011年2月現在)。
1969年、東京都生まれ。
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。
現在、「反貧困ネットワーク」事務局長、
「NPO法人 自立生活サポートセンター・もやい」事務局次長、内閣府参与。
著書に『反貧困』(岩波新書、大佛次郎論壇賞)など。
一丁あがり実行委員会(かつどうかいっちょうあがりじっこういいんかい)
新たな時代の活動家養成のために2009年5月よりスタートした特別講座「活動家一丁あがり!」を運営する活動家集団。
湯浅誠をはじめ9名で構成(河添誠/松元千枝/熊谷伸一郎/内田聖子/京野楽弥子/赤石千衣子/須田光照/土屋トカチ 2011年2月現在)。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2011/3/8)
- 発売日 : 2011/3/8
- 言語 : 日本語
- 新書 : 232ページ
- ISBN-10 : 414088343X
- ISBN-13 : 978-4140883433
- Amazon 売れ筋ランキング: - 661,400位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 325位NHK出版新書
- カスタマーレビュー:
著者について
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民主主義を再考し、誰もが尊重される世の中をつくりたい。
1969年東京都生まれ。東京大学法学部卒。2008年末の年越し派遣村村長を経て、2009年から足掛け3年間内閣府参与に就任。内閣官房社会的包摂推進室長、震災ボランティア連携室長など。政策決定の現場に携わったことで、官民協働とともに、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。
現在、NHK「ハートネットTV」レギュラーコメンテーター、文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」レギュラーコメンテーター、朝日新聞紙面審議委員、日本弁護士連合会市民会議委員。2014年から法政大学教授就任予定(任期付)
講演内容は貧困問題にとどまらず、地域活性化や男女共同参画、人権問題などに渡る。
著書に、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版)、第8回大佛次郎論壇賞、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞した『反貧困』(岩波新書)『岩盤を穿つ』(文藝春秋)、『貧困についてとことん考えてみた』(茂木健一郎と共著、NHK出版)など多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年1月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても刺激を受けました。その他の本も読みたくなりました。湯浅さんの本、また購入したいと思います。
2012年9月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
湯浅の本は、反貧困をまず読むべきだと思う。そこで主張したのが、溜めという考え方だった。次に、ややわかりづらい文章もあるのが、唯一の欠点であるが、最新刊、ヒーローを待っていても、世界は変わらない、だ。これは、ぜひとも呼んでほしい一冊だ。買ってでも読ませたい本だ。民間だけでなく、内閣府参与として行政にも入ったことで得られた広いパースペクティブが示されている。そちらにも私のレビューが載っているので、その本については、そのレビューを読まれたい。派遣切りで、即、アパートも追い出すことができるかどうかについて、最高裁の判例で、追い出すことができるのは、近隣の家賃に比べて著しく低廉な事情などの特段の事情に限る、という判断がある。大学の法学部であれば、教科書に載っていて皆習う、有名な判例である、という。湯浅は、それを弁護士に教えられて、真っ先に頭に浮かんだのは、怒りだったという。何で、それを広めないのか。しかし、共同して活動する中で、記者会見の開き方などの社会への告知の仕方、ノウハウを弁護士などが持っていないからではないと考え、この塾を始めた。できる範囲で、のことであるが、筆者が体験し、身を持って学んできたノウハウを展開している。有効性については、私は、もろ手を挙げて賛成という考えには立たない。私が法学部を卒業したころは派遣切りなど存在しないので、当該判例は不知である。現在、その最高裁判例を調べたいのであれば、弁護士にきくのが手っ取り早いと思う。ネットで質問をしてもいいと思う。なお、内田民法は、ロースクール向けにも、既に、過去のものになっている。内田の最新版だけみてみたが、当該判例は、出ていない。通常、最判平成12年1月1日、というように特定する記述があるのだが、見当たらない。現在は、ロースクールが発達しており、民法についても、たくさんの学者が、よい本を書いている状況にある。しかし、よほど時間がないと、検索できないと思う。確かに、民法と借地借家法の精神から考えれば、そのような判断を下すのは、可能である。なお、そもそも、ごねないのは負けだ。ごねる道はたくさんある。ごねても駄目なのは、弁護士がまともなら、引き受けないので、裁判にされようともごねるが勝ちといえる。結局は、和解に落ち着くはずだ。素直すぎては、生き延びられない時代ではないだろうか。ここでいうごねる、は、不正をせよと言うこととは違う。法律の仕事をやると、強い人間は、正しいか正しくないかに限らず、ごねる人間だ。素直で正直は、幸福な結果を生み出す場合だけではない。また、失うものがないものほど、強い。賢くずるく、引き際も心得て。湯浅が述べたいのは、専門家になれということではない。専門家である弁護士ならこう動けるし、そうでなくても、そのひとごとに、こういうことができる、と述べている。やれる余裕がある人ができる範囲でこつこつと。しかし、それを述べている本は、他にはない。国会のデモに、私も参加した。原発稼動反対のデモだ。震災直後は別として、原発0は、少数者の意見にすぎなかった。ところが、このデモが会ったからこそ、そして、それを世論が支持し、マスコミがマスメディアとして正当に取り上げ、0%の案が、政府案に上程されるところまできた。こういうことは、大きなことだが、湯浅のこの本には、小さなことでやれることが書いてあるが、それは、大きなことをしている人との相乗効果と相俟って、力を発揮することになると思う。ネットでこの本は100円程度だが、それ以上の価値がある。ただ、活動家、というネーミングは下手だな、と思う。ヒーローを待っていても、世界は変わらない。コピーとして、こちらの編集者の勝ちだ。
2011年11月7日に日本でレビュー済み
1.内容(清高の要約)
最近の日本は、労働者が普通の仕事に就けないなど、閉そく感が漂っている。このような場合には、社会に対して声を上げるべきだが、そうする人は少ない。閉塞感を打破するには場を作ることが必要で、そのために「活動家一丁あがり!」を運営する著者たちが、実際に場を作っている「活動家」の実態を紹介しよう(している本)。生活は必ずしもいいわけではないが、活動そのものが楽しい。デモなどの敷居が高いようだが、本来はそうではなく、「誰でも、どこにいてどんな仕事をしていても、活動家になれるものなのだ」(p212)。
2.評価
活動家のなり方のノウハウも充実しているし(第七章)、第3章から第6章の、実際の「活動家」の記述は、興味深かった(個人的には特に第五章)。活動家になるかどうかはさておき(p203。もっとも「別の道」って何?)、興味深い分野・内容と思われるので、星5つ。
3.気になるところ
本題と関係ないが、「会社寮が周辺家賃相場と同じような〜借地借家法関係の法律の教科書には載っている、よく知られた話という」(p17)の根拠が明らかでないのだが。内田貴『民法2』(東京大学出版会)p176(初版。最新版での確認を乞う)では、「裁判例は分かれており、事案によっても異なるが、やはり被用者であるがゆえに貸与されたといえるから、原則として適用を否定すべき場合が多いだろう」とある(もっとも、社宅の場合で、寮とは違うかもしれないが)。もっとも、だから生活保護受給が必要だったとも言えるが。ついでに書くと、p66から、派遣切りについての有効な反論があるので(貯金があってもアパートに住むのが難しい根拠が書かれている)、いまさらながら問題の本質を知りたい人にも読める本だ。
最近の日本は、労働者が普通の仕事に就けないなど、閉そく感が漂っている。このような場合には、社会に対して声を上げるべきだが、そうする人は少ない。閉塞感を打破するには場を作ることが必要で、そのために「活動家一丁あがり!」を運営する著者たちが、実際に場を作っている「活動家」の実態を紹介しよう(している本)。生活は必ずしもいいわけではないが、活動そのものが楽しい。デモなどの敷居が高いようだが、本来はそうではなく、「誰でも、どこにいてどんな仕事をしていても、活動家になれるものなのだ」(p212)。
2.評価
活動家のなり方のノウハウも充実しているし(第七章)、第3章から第6章の、実際の「活動家」の記述は、興味深かった(個人的には特に第五章)。活動家になるかどうかはさておき(p203。もっとも「別の道」って何?)、興味深い分野・内容と思われるので、星5つ。
3.気になるところ
本題と関係ないが、「会社寮が周辺家賃相場と同じような〜借地借家法関係の法律の教科書には載っている、よく知られた話という」(p17)の根拠が明らかでないのだが。内田貴『民法2』(東京大学出版会)p176(初版。最新版での確認を乞う)では、「裁判例は分かれており、事案によっても異なるが、やはり被用者であるがゆえに貸与されたといえるから、原則として適用を否定すべき場合が多いだろう」とある(もっとも、社宅の場合で、寮とは違うかもしれないが)。もっとも、だから生活保護受給が必要だったとも言えるが。ついでに書くと、p66から、派遣切りについての有効な反論があるので(貯金があってもアパートに住むのが難しい根拠が書かれている)、いまさらながら問題の本質を知りたい人にも読める本だ。
2011年3月9日に日本でレビュー済み
本書の基となったNPOの市民講座は、様々な市民活動のうち「労働・貧困」に特化して、具体的なノウハウの伝達や実践、現場での出会いや交流などをカリキュラム化し今年で三年目を迎えるという。同時にこの講座は、いつしかマイナーでネガティブなものとなった「活動」や「活動家」のイメージを更新することを主要な目的としており、本書の刊行はその実践形態の一つと言える。
もっとも、参加者が直接関わる講座本体と、社会一般に向けて伝達を試みる言論活動とでは、当然ながら全く異なる意味合いを持つ。「活動家」に関連して、企画者の湯浅誠は、今どきの“アクティビスト”という呼称は「どこか逃げている感じがする」として、あえて活動家を選んだと書く。だがそもそも活動家がマイナーでネガティブな存在へと失墜した歴史的・社会的な背景はどこにあるのか。本書にはそのような考察や言及は残念ながら全く見られない。むしろ自己を犠牲にして「人のため」「世の中のため」に奔走する古典的な活動家像=ヒロイズムを、講座の実行委員たる筆者らが驚くほど無邪気に、自己陶酔的に受容してしまっているように感じられてならなかった。
活動への「慣れ」は内的な矛盾を平定し、しばしば緊張感を失わせる。それは必ずしも悪いことだけではないだろうが、そのような場所では「なぜ」活動するのかという根本的な問いがいつしか遠景へと退き、「いかに」上手く円滑に運営するかといったハウツーの部分が優先しがちである。国際援助の分野などでは、本来「援助=ないに越したことはないもの」という視点が常に提起されてきたわけだが、この本ではどうやって(活動しつつ)食べていくかといった話が重点的に取り上げられる一方、活動の前提をめぐる書き手の立場が見えにくい。言い換えれば、活動家に対するポジティブなイメージを共有しない他者一般に対峙する筆者たちの姿勢が曖昧なのである。厳しい言い方かもしれないが、全編を覆う内向きのノリに違和感を禁じ得なかったというのが読後の率直な印象であった。
もっとも、参加者が直接関わる講座本体と、社会一般に向けて伝達を試みる言論活動とでは、当然ながら全く異なる意味合いを持つ。「活動家」に関連して、企画者の湯浅誠は、今どきの“アクティビスト”という呼称は「どこか逃げている感じがする」として、あえて活動家を選んだと書く。だがそもそも活動家がマイナーでネガティブな存在へと失墜した歴史的・社会的な背景はどこにあるのか。本書にはそのような考察や言及は残念ながら全く見られない。むしろ自己を犠牲にして「人のため」「世の中のため」に奔走する古典的な活動家像=ヒロイズムを、講座の実行委員たる筆者らが驚くほど無邪気に、自己陶酔的に受容してしまっているように感じられてならなかった。
活動への「慣れ」は内的な矛盾を平定し、しばしば緊張感を失わせる。それは必ずしも悪いことだけではないだろうが、そのような場所では「なぜ」活動するのかという根本的な問いがいつしか遠景へと退き、「いかに」上手く円滑に運営するかといったハウツーの部分が優先しがちである。国際援助の分野などでは、本来「援助=ないに越したことはないもの」という視点が常に提起されてきたわけだが、この本ではどうやって(活動しつつ)食べていくかといった話が重点的に取り上げられる一方、活動の前提をめぐる書き手の立場が見えにくい。言い換えれば、活動家に対するポジティブなイメージを共有しない他者一般に対峙する筆者たちの姿勢が曖昧なのである。厳しい言い方かもしれないが、全編を覆う内向きのノリに違和感を禁じ得なかったというのが読後の率直な印象であった。
2020年10月13日に日本でレビュー済み
"独善的で傲慢なイメージが『活動家』について回っているのだとしたら、その貧相なイメージを本書で葬り去りたい。なぜなら『社会にちゃんとモノ言う活動家』のいない社会なんて、つまらないし魅力もないから"2011年発刊の本書は講座記録にして社会にちゃんとモノが言える大人を育成する一冊。
個人的には、何かしら社会に違和感を覚えている(覚えてしまった)人たちが身を寄せ合う"場づくり"を私自身が身銭をきって、場所変え品変え10年以上していることから、ヒントを求めて手にとりました。
さて、そんな本書は年越し派遣村や子ども食堂支援といった一貫して貧困問題に関わり続ける著者と仲間たち『一丁あがり実行委員』が2009年代に『より生きやすい『場』をつくる人』を活動家と定義して、その社会的必要性や【どうして活動家になったのか?】または【どうやって食っているのか?】について労働と貧困をテーマに行っていた講義記録となるわけですが。
引用されているノーム・チョムスキーの(質疑応答の際)『自分が何もやっていない人は"〇〇をしてくれ"と言う。自分が何かやっている人は、"自分は〇〇をしているが、それについてあんたはどう思うか"と聞く』ではないが。著者の"何も言わない(社会的発信をしない)学者"や"カッコ悪い姿しか示さず何もしない年配の人たち"が【若者たちがネットに癒しとはけ口を求める結果になったのでは?】という他人任せしている先人たちへの憤りについては(安易な世代間分断を生む気もないが)『進行形の実践者』の1人としての経験からも強く共感する部分がありました。
また一方で『活動家』のイメージが古臭く"あまりに狭く、かつ否定的なため"現在では、その呼び名が意図的に避けられてNPOマネジメント、ファシリテーション、ソーシャルベンチャーといった名前で【新しいブランドイメージをつくってきた】風潮が、長期的に見れば断絶に断絶を、蓄積の豊かさを切り捨て【活動全体の貧しさをもたらすことにならないか】との指摘についても。一部では行政の下請け"事業"として、また学生集めの話題づくり的に、次第に表面的かつカタカナお洒落、お手軽ファッション化していく現場に【違和感と危うさを感じている】(=距離を置くことにした)事から、こちらも再確認する部分がありました。
サードプレイス、コミュニティカフェなど『名前はどうでも良いですが』場づくりをしている、しようとしている人、社会に何かしら発信しようとしている人に参考的にオススメ。
個人的には、何かしら社会に違和感を覚えている(覚えてしまった)人たちが身を寄せ合う"場づくり"を私自身が身銭をきって、場所変え品変え10年以上していることから、ヒントを求めて手にとりました。
さて、そんな本書は年越し派遣村や子ども食堂支援といった一貫して貧困問題に関わり続ける著者と仲間たち『一丁あがり実行委員』が2009年代に『より生きやすい『場』をつくる人』を活動家と定義して、その社会的必要性や【どうして活動家になったのか?】または【どうやって食っているのか?】について労働と貧困をテーマに行っていた講義記録となるわけですが。
引用されているノーム・チョムスキーの(質疑応答の際)『自分が何もやっていない人は"〇〇をしてくれ"と言う。自分が何かやっている人は、"自分は〇〇をしているが、それについてあんたはどう思うか"と聞く』ではないが。著者の"何も言わない(社会的発信をしない)学者"や"カッコ悪い姿しか示さず何もしない年配の人たち"が【若者たちがネットに癒しとはけ口を求める結果になったのでは?】という他人任せしている先人たちへの憤りについては(安易な世代間分断を生む気もないが)『進行形の実践者』の1人としての経験からも強く共感する部分がありました。
また一方で『活動家』のイメージが古臭く"あまりに狭く、かつ否定的なため"現在では、その呼び名が意図的に避けられてNPOマネジメント、ファシリテーション、ソーシャルベンチャーといった名前で【新しいブランドイメージをつくってきた】風潮が、長期的に見れば断絶に断絶を、蓄積の豊かさを切り捨て【活動全体の貧しさをもたらすことにならないか】との指摘についても。一部では行政の下請け"事業"として、また学生集めの話題づくり的に、次第に表面的かつカタカナお洒落、お手軽ファッション化していく現場に【違和感と危うさを感じている】(=距離を置くことにした)事から、こちらも再確認する部分がありました。
サードプレイス、コミュニティカフェなど『名前はどうでも良いですが』場づくりをしている、しようとしている人、社会に何かしら発信しようとしている人に参考的にオススメ。
2011年5月8日に日本でレビュー済み
かつては中高生を集めてのミニコミ作りを10年ばかりやったり、教育問題の集会に協力したりしていたけれど、最近はご無沙汰。50代も半ばを過ぎて、本を作ったり読んだり書いたりばかりでは空しいなと思っていたところ、この本の存在に気がついて読んでみた。
デモや活動の宣伝、ロビイングなど、活動のためのノウハウを実践的に教える講座の関係者たちによる文集だが、現代を反映して面白い。それは就職や安定した職業の確保の難しさだったりするけれど、そうした問題は掘り下げていけば、今の日本社会の息苦しさに行き着く点で、誰にも共通する問題になる。そしてその息苦しさは、個々人の責任によるものと言うよりは、多くは制度の問題、法制度があってもきちんと運用されていないことによる。
「晩年」(笑)に向かってまた動きたいと思わせられた。活動家の生計の紹介も興味深く読めた。
デモや活動の宣伝、ロビイングなど、活動のためのノウハウを実践的に教える講座の関係者たちによる文集だが、現代を反映して面白い。それは就職や安定した職業の確保の難しさだったりするけれど、そうした問題は掘り下げていけば、今の日本社会の息苦しさに行き着く点で、誰にも共通する問題になる。そしてその息苦しさは、個々人の責任によるものと言うよりは、多くは制度の問題、法制度があってもきちんと運用されていないことによる。
「晩年」(笑)に向かってまた動きたいと思わせられた。活動家の生計の紹介も興味深く読めた。
2013年12月29日に日本でレビュー済み
面白かったです。なにかやってみようと思わせる文章で、とてもやる気にさせられました!!