非常に面白かった。作文技術としても、もちろん役立った。
日本語に主語はないなど、盲信していたことがひっくり返ることが読み進める中で何度もあった。
研究なんか研究者にやらせとけ、この本で扱う必要はない、みたいな発言に受け取れる部分があり、それにはちょっとイラっとした。
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新装版 日本語の作文技術 単行本(ソフトカバー) – 2005/9/10
本多 勝一
(著)
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伝説の名著が、読みやすく、使いやすくなって新登場!!
相手に伝わる文章をどう書くか。それを教える類書が、このロングセラー以外に未だに無いとは驚きである。――筑紫哲也(ジャーナリスト)
「漢字をいくら沢山おぼえても、またいくら古典を暗誦したり旧カナが書けたりしても、そんなことは作文の勉強に直接的には関係ありません。作文は技術であって、記憶力やクイズ式受験への適応能力ではないのですから。私のいう作文というのは、とにかく単純明快、読む側にとってわかりやすい文章を書くこと、これだけが到達すべき目標のすべてです」――<「はじめに」より抜粋>
伝説の名著が、読みやすく、使いやすくなって新登場!!
相手に伝わる文章をどう書くか。それを教える類書が、このロングセラー以外に未だに無いとは驚きである。――筑紫哲也(ジャーナリスト)
「漢字をいくら沢山おぼえても、またいくら古典を暗誦したり旧カナが書けたりしても、そんなことは作文の勉強に直接的には関係ありません。作文は技術であって、記憶力やクイズ式受験への適応能力ではないのですから。私のいう作文というのは、とにかく単純明快、読む側にとってわかりやすい文章を書くこと、これだけが到達すべき目標のすべてです」――<「はじめに」より抜粋>
- ISBN-104062130947
- ISBN-13978-4062130943
- 出版社講談社
- 発売日2005/9/10
- 言語日本語
- 寸法12.9 x 1.8 x 18.8 cm
- 本の長さ294ページ
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著者について
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信州(長野県)伊那谷出身。京都大学卒。『朝日新聞』記者、同社編集委員を経て、『週刊金曜日』編集委員(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『本多勝一 逝き去りし人々への想い』(ISBN-10:4062164035)が刊行された当時に掲載されていたものです)
イメージ付きのレビュー

1 星
汚い。新品とは思えない。
ちょっと汚すぎます。ビニールカバーもなく、表紙と帯はスレ傷だらけ。裏表紙には汚い手で触ったような汚れがあり拭いても綺麗になりません。1ページ目にはご飯をこぼしたような汚れもあってちょっと気持ち悪いです。明らかに新品では無い。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年11月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読んでると難しいけど、ほぉーそんな風に考えるのかーと面白い部分もあり、そんなに考えながら日本後を使ってないから、自分のネイティブ日本語の文章力に自信がなくなってきております。(この文章、日本語合ってますか?)
2022年11月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「目的はただひとつ、読む側にとってわかりやすい文章をかくこと」
という割に、序章に学術研究上の批判を展開しており、言行不一致に感じる。決して、読む側にとってわかりやすいとは言えない。
作文技術の本質は、パラレルな思考をシーケンシャルな文章に配列することにある。すなわち、伝達すべき情報を(1)取捨選択し、(2)事実と意見を峻別し、(3)構造化して、(4)適切な順に並べる技術である。この技術は、使用する言語に依存しない。
他方、「てにをは」や句読点の使い方に関する作文技術は、特定の言語の文法に関する問題であり、時代や地域によって正解が変わり得る。
本書は後者に重心があり、前者のフォローが弱い。
たとえば、「理科系の作文技術」(木下是雄, 1981)と読み比べるとよく分かる。
木下は、わかりやすい文章を書くために必要なことを、序章に、全て挙げている。以降の各章は、その各論と補足である。目次に並ぶ各章は、序章の内容を受けて、その順に並ぶべく必然性を帯びて、その順に並んでいる。つまり、書全体で情報の配置が構造化されている。
それに比べると、本書の目次は総論なき各論の集合のようで、必然性を感じない。いくつかの項を入れ替えたり、脱落させたりしても、違和感ないだろう。
本書の内容が作文技術の向上に有益であることは間違いないが、本書だけで足りるということはない。前述のような作文技術の複数のレイヤを意識しつつ、類書を併読することをおすすめする。
という割に、序章に学術研究上の批判を展開しており、言行不一致に感じる。決して、読む側にとってわかりやすいとは言えない。
作文技術の本質は、パラレルな思考をシーケンシャルな文章に配列することにある。すなわち、伝達すべき情報を(1)取捨選択し、(2)事実と意見を峻別し、(3)構造化して、(4)適切な順に並べる技術である。この技術は、使用する言語に依存しない。
他方、「てにをは」や句読点の使い方に関する作文技術は、特定の言語の文法に関する問題であり、時代や地域によって正解が変わり得る。
本書は後者に重心があり、前者のフォローが弱い。
たとえば、「理科系の作文技術」(木下是雄, 1981)と読み比べるとよく分かる。
木下は、わかりやすい文章を書くために必要なことを、序章に、全て挙げている。以降の各章は、その各論と補足である。目次に並ぶ各章は、序章の内容を受けて、その順に並ぶべく必然性を帯びて、その順に並んでいる。つまり、書全体で情報の配置が構造化されている。
それに比べると、本書の目次は総論なき各論の集合のようで、必然性を感じない。いくつかの項を入れ替えたり、脱落させたりしても、違和感ないだろう。
本書の内容が作文技術の向上に有益であることは間違いないが、本書だけで足りるということはない。前述のような作文技術の複数のレイヤを意識しつつ、類書を併読することをおすすめする。
2024年3月1日に日本でレビュー済み
私は物事を論理的に整然と捉えるのが苦手である。だから悪文を読むのにも書くのにも気付かないことが多い。というか、白状すると、結構悪文が好きである。戒め半分、面白半分で本書を読んだ。
実際、本多氏が実践的に指南する内容は、「分かりやすく、かつ、伝達の齟齬が生じないような文章」を書くためには、圧倒的に正しい。数ある日本語文章術の中で正典としてのポジションを獲得しているのもさもありなん。一方で、悪文が思いがけずもたらす特有の悪徳に関しては、あまり注意を払っていないようにも思う。たとえば、語順に関する悪例として挙げられている以下の文章。
***
チリ美人は、アルゼンチンの肉をたっぷり食べているセニョリータにくらべると、ぐっと小柄である。(74頁)
***
たしかに本多氏が指摘するとおり一読して悪文である(ちなみに一応書いておくと、原文は複数の日本人女性による南米旅行記からの引用)。「アルゼンチン人のセニョリータ」を指示したいのだろうが、これでは「アルゼンチン産の粗悪な肉ばかり食べて太っている女性」と読めなくもない。本多氏が提示する修正案はこちら。
***
肉をたっぷり食べているアルゼンチンのセニョリータにくらべると、チリ美人はぐっと小柄である。
(75頁)
***
「アルゼンチンの」の位置の差し替えにより、意味の上の混乱を防止できている。同時に、「チリ美人は」という主語も、述語「ぐっと小柄である」と直結するように直されている。この方が疑いなく明快だ。
それでも、私は原文の方がよいと思う。語り手の思考の流れ、リズムを追体験できるからだ。パーツごとに検討してみる(細かくなるので、読み飛ばしてもらっても構わない)。
①「チリ美人は、」
おそらくこの元の文章の書き手は、旅先で目にしたチリ人の体型的特徴を説明しようと思い立ち、そのあとでアルゼンチン人の体型を想起したのだろう。だからこの文章は、主述の分かりにくさを犠牲にしても、「チリ美人は、」と書き出されねばならない。
②「アルゼンチンの」
おもむろに挿入したのは乱暴かもしれないが、「チリ美人」との対比で自然に連想されたのであり、読者としても「人と肉」でなく「人と人」の同一カテゴリを比較していることは自ずと了解できる。
③「たっぷり肉を食べているセニョリータにくらべると、」
そして語り手は、肉をたっぷり食べているアルゼンチン人の様子を具体的に思い出した。「大量の肉を食べる」ではなくあえて「たっぷり肉を食べている」と書かれているのは、記憶の中の食事の情景がまざまざと蘇って、現在形の説明を侵食したからである。
④「ぐっと小柄である。」
こうしてしばらく保留にされた主語「チリ美人は」が、読点による一拍を置いて、述語「ぐっと小柄である」に接続される。比較の程度を表す語の中でも「ぐっと」が採用されていることにより、修辞的な含意の錯覚が生まれ、宙に浮いた意味が「ぐっと」引き締まるようなリズム感さえある。
原文は旅行記だ。食文化が体型にもたらす影響についての学術論文ではないのだから、客観的かつ整然と事実を伝えることよりも、主観的なライブ感を演出することが肝要である。その点、見かけのまずい悪文ではあっても、原文には語り手特有のダイナミズムが保存されている。くせになる味わいとでもいおうか。意味も論理的に通じないというほどではないと思う。
他方の本多案では、チリ美人の説明をしようとしている筈の語り手が本題と関係のない「肉を……」と切りだすが、考えてみればこれはいささか唐突だ。全体の構造を優先したために、理が勝ちすぎている。論理の面では洗練されているのだけれど、原文がその覚束なさのうちに保持していた語りの自然なフロー、つかのまの逡巡のニュアンス、語彙と並びがもたらす特有のリズムが失われている。
本多氏は作文を建築に喩える。両者とも欠かしてはならない建築基準が存在するという点で、これは正鵠を射ている。そして、建築についてしばしば言われるのと同様、作文も「凍れる音楽」そのものであり、どんな鹿爪らしい論理構造においても身体性を伴った語りの時間が保存されている。私たちが文章を読み書きする上では、このことを念頭に入れなければならない。
悪文の順序には、ときにそれなりの理由があるのだ。
どうやら、私たちが「分かりやすさ」の点で犯しがちな過ちというものには、別の点での大きな有用性があるようだ。書き言葉の論理的な構造には還元できない、言語が隠し持つ思考のうねりのようなものが存在し、その奔流に身を委ねることの利点もある。
だから、きわめて凡庸な教訓になるが、使い分けが肝要なのだろう。他者への分かりやすさを強調したいときには、本書のような文章読本での一般的な学びをもとに、あくまでテクニカルに形を整える。それ以外の効果を求めるときには、あまり「美文」や「名文」の枠に因われすぎない。そして、他人が「悪文」の弊に陥っているからといって、あまり目くじらを立てすぎないほうがいいのかもしれない。
実際、本多氏が実践的に指南する内容は、「分かりやすく、かつ、伝達の齟齬が生じないような文章」を書くためには、圧倒的に正しい。数ある日本語文章術の中で正典としてのポジションを獲得しているのもさもありなん。一方で、悪文が思いがけずもたらす特有の悪徳に関しては、あまり注意を払っていないようにも思う。たとえば、語順に関する悪例として挙げられている以下の文章。
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チリ美人は、アルゼンチンの肉をたっぷり食べているセニョリータにくらべると、ぐっと小柄である。(74頁)
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たしかに本多氏が指摘するとおり一読して悪文である(ちなみに一応書いておくと、原文は複数の日本人女性による南米旅行記からの引用)。「アルゼンチン人のセニョリータ」を指示したいのだろうが、これでは「アルゼンチン産の粗悪な肉ばかり食べて太っている女性」と読めなくもない。本多氏が提示する修正案はこちら。
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肉をたっぷり食べているアルゼンチンのセニョリータにくらべると、チリ美人はぐっと小柄である。
(75頁)
***
「アルゼンチンの」の位置の差し替えにより、意味の上の混乱を防止できている。同時に、「チリ美人は」という主語も、述語「ぐっと小柄である」と直結するように直されている。この方が疑いなく明快だ。
それでも、私は原文の方がよいと思う。語り手の思考の流れ、リズムを追体験できるからだ。パーツごとに検討してみる(細かくなるので、読み飛ばしてもらっても構わない)。
①「チリ美人は、」
おそらくこの元の文章の書き手は、旅先で目にしたチリ人の体型的特徴を説明しようと思い立ち、そのあとでアルゼンチン人の体型を想起したのだろう。だからこの文章は、主述の分かりにくさを犠牲にしても、「チリ美人は、」と書き出されねばならない。
②「アルゼンチンの」
おもむろに挿入したのは乱暴かもしれないが、「チリ美人」との対比で自然に連想されたのであり、読者としても「人と肉」でなく「人と人」の同一カテゴリを比較していることは自ずと了解できる。
③「たっぷり肉を食べているセニョリータにくらべると、」
そして語り手は、肉をたっぷり食べているアルゼンチン人の様子を具体的に思い出した。「大量の肉を食べる」ではなくあえて「たっぷり肉を食べている」と書かれているのは、記憶の中の食事の情景がまざまざと蘇って、現在形の説明を侵食したからである。
④「ぐっと小柄である。」
こうしてしばらく保留にされた主語「チリ美人は」が、読点による一拍を置いて、述語「ぐっと小柄である」に接続される。比較の程度を表す語の中でも「ぐっと」が採用されていることにより、修辞的な含意の錯覚が生まれ、宙に浮いた意味が「ぐっと」引き締まるようなリズム感さえある。
原文は旅行記だ。食文化が体型にもたらす影響についての学術論文ではないのだから、客観的かつ整然と事実を伝えることよりも、主観的なライブ感を演出することが肝要である。その点、見かけのまずい悪文ではあっても、原文には語り手特有のダイナミズムが保存されている。くせになる味わいとでもいおうか。意味も論理的に通じないというほどではないと思う。
他方の本多案では、チリ美人の説明をしようとしている筈の語り手が本題と関係のない「肉を……」と切りだすが、考えてみればこれはいささか唐突だ。全体の構造を優先したために、理が勝ちすぎている。論理の面では洗練されているのだけれど、原文がその覚束なさのうちに保持していた語りの自然なフロー、つかのまの逡巡のニュアンス、語彙と並びがもたらす特有のリズムが失われている。
本多氏は作文を建築に喩える。両者とも欠かしてはならない建築基準が存在するという点で、これは正鵠を射ている。そして、建築についてしばしば言われるのと同様、作文も「凍れる音楽」そのものであり、どんな鹿爪らしい論理構造においても身体性を伴った語りの時間が保存されている。私たちが文章を読み書きする上では、このことを念頭に入れなければならない。
悪文の順序には、ときにそれなりの理由があるのだ。
どうやら、私たちが「分かりやすさ」の点で犯しがちな過ちというものには、別の点での大きな有用性があるようだ。書き言葉の論理的な構造には還元できない、言語が隠し持つ思考のうねりのようなものが存在し、その奔流に身を委ねることの利点もある。
だから、きわめて凡庸な教訓になるが、使い分けが肝要なのだろう。他者への分かりやすさを強調したいときには、本書のような文章読本での一般的な学びをもとに、あくまでテクニカルに形を整える。それ以外の効果を求めるときには、あまり「美文」や「名文」の枠に因われすぎない。そして、他人が「悪文」の弊に陥っているからといって、あまり目くじらを立てすぎないほうがいいのかもしれない。
2023年10月19日に日本でレビュー済み
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句読点の使い方について多くのページを割いています。
どこで句読点を打つべきなのかが明確にわかるようになります。
どこで句読点を打つべきなのかが明確にわかるようになります。
2022年12月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読点のおかしい文章を最近よく見かけるような気がする。本書では読点の使い方にかなりのページがさかれており、非常にためになる。
なぜその読点がだめなのかを人に説明するにも、ちゃんと理論的に理解できる。
他にも書かれているように、著者の思想はダダ漏れ。
なぜその読点がだめなのかを人に説明するにも、ちゃんと理論的に理解できる。
他にも書かれているように、著者の思想はダダ漏れ。
2023年10月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を読んだ後にレビューを書くのは、自らの覚悟が問われるようで躊躇われる。
しかし、自らの考えをどのように表現していくか、その力を高めるにあたっては最良の書籍の1つと言えるだろう。
1つ1つの言葉にこだわることの重要性を強く実感し、、日々自分が使う言葉に意識を高めるきっかけとなる書籍だった。
しかし、自らの考えをどのように表現していくか、その力を高めるにあたっては最良の書籍の1つと言えるだろう。
1つ1つの言葉にこだわることの重要性を強く実感し、、日々自分が使う言葉に意識を高めるきっかけとなる書籍だった。
2019年8月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
語順や修飾語・助詞の使い方など参考になる部分は多くあります。
ただし、他のレビューでも書かれているように癖の強さは否めず、万人に読みやすい文章とは言えません。
強い言語学的な主張や、やや古い背景知識を要求する例文に偏っているため、比較的若年層にはピンとこない可能性が高いです。
しかしながら、義務教育では習わない(少なくとも私の時代は)文章執筆のノウハウはやはり秀逸だと感じます。
私にとってはプラスとマイナスの両面があったため、中間をとって星3つです。
ただし、他のレビューでも書かれているように癖の強さは否めず、万人に読みやすい文章とは言えません。
強い言語学的な主張や、やや古い背景知識を要求する例文に偏っているため、比較的若年層にはピンとこない可能性が高いです。
しかしながら、義務教育では習わない(少なくとも私の時代は)文章執筆のノウハウはやはり秀逸だと感じます。
私にとってはプラスとマイナスの両面があったため、中間をとって星3つです。