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夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 単行本(ソフトカバー) – 2010/9/29

4.2 5つ星のうち4.2 107個の評価

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13年間の内外のインタビュー18本を収録。なぜ書くのか、創作の秘密、日本社会への視線、走ることについてなどを語りつくす
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 文藝春秋 (2010/9/29)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2010/9/29
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 512ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4163731008
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163731001
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 107個の評価

著者について

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村上 春樹
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1949(昭和24)年、京都府生れ。早稲田大学文学部卒業。

1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。

カスタマーレビュー

星5つ中4.2つ
5つのうち4.2つ
107グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2010年10月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
村上春樹が物語を作る理由と方法や自作への思い等を著者の真摯で深い言葉を通してより深く知悉できる1997-2009年の貴重なインタビュー集。

個人的なことですが、ねじまき鳥クロニクルを読みなぜ僕の物語に似ているのだろうと感じ、更には気付けなかった罪(悪)を悟らされた理由が本書で分りました。尋常ならざる重みのあるインタビュー集です。

「例えば僕がどんどん深く掘ってそこから体験した事を物語にすれば、それは僕の物語でありながらAという人の持っている物語と呼応する。Aには語るべき潜在的な物語があり、語ることが出来なかったとして、僕がある程度深みにまで行って物語を立ち上げると、それが呼応する。それが共感力というか一種の魂の呼応性だと思う。もし僕がそれである程度、自分が物語を立ち上げたことで癒された部分があるとすれば、それはあるいはAという人を癒すかもしれない。その為には、本当に怖い所、本当に自分の悪の部分まで行かないと、そういう共感は僕は生まれないと思うのです」

文庫化を記念して、本文より印象にの頃ところを以下にご紹介します。おススメです。(2019年9月8日)

2011年 62歳 
・どういうわけか僕は、良い物語を書いたり読んだりすることで、世界を変えられると信じているのです。良い物語は誰の中にも前向きな思いを呼び起こすはずです。良い物語というのは、人の心を鼓舞し、喚起し、揺さぶり、そして愛がとても重要なものであることを信じさせるはずです。『1Q84』はとても長く、ものごとが複雑に絡み合った、暗くて残酷な物語ですが、中心にあるのは愛です。もしあなたが誰かを愛していれば、あなたが暗闇を抜ける助けになります。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』もスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』も愛の物語です。

2010年 61歳
・でも僕は読者のみなさんに、できることならわかっていただきたいのだ。僕は決して発展しながら小説を書いてきたのではなく、あくまで小説を書くことによって、かろうじて発展してきたのだということを。

2009年 60歳
・自分の魂の不健全さというか、歪んだところ、狂気を孕んだところ、小説を書く為にはそういうのを見ないと駄目だと思います。というか、そのたまりみたいなところまで実際に降りていかないといけない。
・僕は自分の本を読んで泣くことなんてないけど、『アンダーグラウンド』だけは今読み返しても泣きます。そこにある人々のボイスの集積みたいなものに共感するわけですけど、涙がとまらなくなる。
・ドストエフスキーほど死ぬ間際まで小説に深くのめり込んだいけた人って他になかなか見当たりませんよね。だから色んな作家に惹かれて、でも結局はドストエフスキーひとりが孤峰みたいにして残った。『悪霊』とか『カラマーゾフの兄弟』になると、作品総体としては、もう言うことはないですよね。うん。やっぱりそういうのを書きたいなあ。今ここで長編小説をひとつ書くからには、そこにとにかく全力を傾注しなくちゃいけない。余計なことをしている暇は現実的にないんです。
・つまり人が善を目指そうとすれば、悪というのは補償作用として必ずその人の中で、同じぶん伸びていきます。同じように人が健康になろうと思えば思うほど、地下にあるその人の不健全な部分は深くなっていくはずなんです。
・29歳のある日の午後、ヤクルト=広島戦を見ているうちに、本当に空から羽が降って来るみたいに、「書きたい」と強く思ったんです。そういう啓示というのかな、エピファニーみたいなものが、今でも触感としてありありと僕の中に残っているんですね。絶対的なものに対する畏敬の念です。

2007年 58歳
・長編小説を書いている時は書きながら身体の組成そのものが刻々と変化していくようなところがあって、それは何ものにもかえがたい興奮であり、充実感です。
・小説を書く苦しみについてはよく語られるけど、苦しいのは当たり前のことでしょう。僕はそう思う。ゼロから何かを生み出して立ち上げて行くことが、苦しくないわけがないんです。そんなこといちいち言われるまでもない。僕にとって大事なのは、それがいかに楽しいかということです。

2005年 56歳
・宮崎駿氏の映画を見たことはありません。自分に興味のあることと、自分に興味のないことをはっきり分別する傾向が僕には強くあります。
・僕の小説の中では、女性はよくmedium(巫女)的な役割を果たしています。レイコさんも、ミュウも、そのような観点からすれば「神に見捨てられた」巫女たちであると言ってもいいかもしれません。
・僕は『アンダーグラウンド』を書きながらずっと、その悪なるものの存在を感じ続けていました。それはある意味恐ろしい体験だった。麻原はもちろんきわめて特殊な存在です。どう見ても狂った精神を持っています。しかし我々自身の中にも、やはり狂気や、正常ならざるものや、不適当なものはあるかもしれません。僕は自分の暗闇の中に存在するかもしれないそのようなものを、もっと良く見てみたいと感じました。

2003年 54歳
・もし読者が僕の本を読んで、その過程で同感したり共感したりすることができたとしたら、それは我々が同じ世界を共有できたことなのです。
・僕は一人っ子だったし、小説を読んだり音楽を聴いたりすることで自分を保っていたようなものだから、入り込み方はわりに深いですね。とにかく子どもの頃から物語の世界に入っていって、描かれている人の姿というか肌の温もりみないなものを感じるということが多かった。僕の教養体験はほとんど十九世紀のヨーロッパ小説なんです。ドストエフスキーから、スタンダールから、バルザックから。その辺はもう本当に物語の世界ですよね。物語があって人が生きていて。ディケンズなんかもそうだし。そういうものの教養体験はすごく強いですね。
・人間の存在というのは二階建ての家だと僕は思っているわけです。その地下室の下にはまた別の地下室があるというのが僕の意見なんです。それは非常に特殊な扉があってわかりにくいので普通はなかなか入れないし、入らないで終わってしまう人もいる。ただ何かの拍子にフッと中に入ってしまうと、そこには暗がりがあるんです。それは前近代の人々がフィジカルに味わっていた暗闇-電気がなかったですからね-というものと呼応する暗闇だと僕は思っています。その中に入っていって、暗闇の中をめぐって、普通の家の中では見られないものを人は体験するんです。それは自分の過去と結びついたりする、それは自分の魂の中に入っていくことだから。でも、そこからまた帰ってくるわけですね。あっちに行っちゃったままだと現実に復帰できないです。
・今、世界の人がどうしてこんなに苦しむかというと、自己表現をしなくてはいけないという強迫観念があるからなんですよ。自己表現なんて簡単にできやしないですよ。これは本当に呪いだと思う。
・悪ということについては、僕はずうっと考えていました。僕の小説が深みを持って広がりを持っていくためには、やはり、悪というものは不可欠だろうと、ちょっとしたきっかけのようなものがあって、ずうっと考えていたんです。
・たとえば『海辺のカフカ』における悪というものは、やはり、地下二階の部分。彼が父親から遺伝子として血として引き継いできた地下二階の部分、これは引き継ぐものだと僕は思うんですよ。多かれ少なかれ子どもというのは親からそういうものを引き継いでいくものです。呪いであれ祝福であれ、それはもう血の中に入っているものだし、それは古代にまで遡っていけるものだというふうに僕は考えているわけです。たとえば弥生時代ぐらいまで、ずぅーっと血をたどっていけば結局行くわけだし、連綿として繋がっている。そこには古代の闇みたいなものがあり、そこで人が感じた恐怖とか、怒りとか、悲しみとかいうものは綿々と続いているものだと思うんです。あるいはそこで待ち受けているものというか。僕は輪廻とかそういうものはとくに信じないけれど、そういう血の引き継ぎというのは信じていいような気がする。根源的な記憶として。カフカ君が引き継いでいるのもそれなんです。それを引き継ぎたくなくても、彼には選べないんです。それが僕はこの話のいちばん深い暗い部分というふうに思うんです。
・たとえばAという人ならAが持っている自我と、Aの引きずっている暗闇みたいなものは、両方ともA独自のもので、それを組み合わせて物語を抽出するとすれば、そこから出てくるのはAにしかない物語です。ところがたとえば僕がどんどん、どんどん深く掘っていってそこから体験したことを物語にすれば、それは僕の物語でありながら、Aという人の持っているはずの物語と呼応するんですよね。Aには語るべき潜在的な物語があるのに、有効にそれを書けなかった、語ることができなかったと仮定して、そこで僕がある程度深みまで行って物語を立ち上げると、それが呼応するんです。それが共感力というか、一種の魂の呼応性だと思う。もし僕がそれである程度、自分が物語を立ち上げたことで癒された部分があるとすれば、それはあるいはAという人を癒すかもしれない-ということがあるわけです。そのためには、本当に暗いところ、本当に自分の悪の部分まで行かないと、そういう共感は生まれないと僕は思うんです。もし暗闇に入れたとしても、いい加減なところで、少し行ったところで適当に切り上げて帰って来たとしたら、なかなか人は共感してくれない。そういう意味で、僕は、悪について真剣に考え出したという風に思うんですよね。ただ人によってはそういうものは見たくないという人がいっぱいいるんです。
・やはり、「麻原」という一種の密閉された宇宙の中で何が起こったかというのは、見ていうとものすごく怖いですね。一種の闇を全部「麻原」に譲り渡しちゃったというか、暗闇を同化しちゃったというか、一つの暗闇になっちゃったんですね、みんなが。「麻原」という、あの人はかなり巨大な暗闇を抱えた人だと思うけど、そこに吸収合併されたというか、一種の同根状態になっているから、それは本当に語られる話を聞いているだけで怖いです。暗闇の中にある悪の力というのが染み出してくる。いくら希求するものが善であったとしても、暗闇の同根状態から生まれ出てくるものは、善悪を超えているというか、とても危険なものなんです。動機が善なるものであるだけに、何が悪であり得るかという検証システムを欠くことになります。そしてそこに生まれる悪というものはものすごく大きなもので、あらゆるものを焼き払うぐらい強烈なものなんです。
・どのような人であれ、人には何か特別な感情の入口みたいなものが必ずあると思う。そして大事なときにはその入口が開くんだと、僕は、そういう風に信じてます、ごく自然に。特に音楽に関して言えば何か本当に心が裏返ってしまうような瞬間というのはあるし、そういうものってすごく大事なんですよね、人生にとって。
・僕は、カフカのかいていることというのは、悪夢の叙述だと思うんですよ。彼の住んでいた世界では、現実の生活と悪夢が結びついていたと思うんです。むしろ悪夢そのものについてものすごく細密に語っていくわけですね。『審判』にしても、『城』にしても、確かに一人の主人公が悪夢の中に巻き込まれて振り回される話なんだけれど、それについて主人公がどう考えるかというのは、もちろん書いてはあるけど、それはあまり大した問題じゃないですね。彼が悪夢に対応してどう具体的に行動していって、その悪夢がどういう内容の具体的実態を持っているかということの方が大事なんです。
・でもやっぱり僕は日本人のことを書きたいんです。最初から日本人がどういう風にこの世界で生きているかということに興味があるんです。僕は日本のことについて、もっと突っ込んでいきたいし、やっぱり日本人とは何かということが強く意識にあります。
・結局、今の世界が経験していることは何かというと、再編成ですよね。そういう再編成におけるいちばん深刻な問題は何かというと、それは整合性の欠如です。

1999年 50歳
・自分の文体を使うと、自分が考えている以上のものが出てくる。そこがまた好きなところで、自分が何を考えているのか、何を求めてるのかよくわからなくても、文章にするとだんだんわかってくるんです。そのままだと、見分けのつかない、無明の世界だから。
・本当に大事なのは、物語と物語を生み出す僕との間の相関関係の推移なんですね。
・僕が批評に対して不信感を持つのも、批評は小説を論理的、直線的にとらえようとするものだから。
・僕は現実でも、ある日誰かが消えてもおかしくないと思って生きている。人というのは日常的に失われていくものだととらえているんです。
・僕は、自分の中にも底の底の方で物語が湧いているんだってことを、たまたま偶然見つけた人間だから、その幸運に対して感謝する気持ちがすごくあるんです。
・自分の中の物語性のようなものは、僕にとっては、これまで生きて来たごく普通の人間としての日常とは別なところで、一種の神秘的なものとして存在しているんです。神秘的ではあるけれど、こんこんと湧いている確かな実感がある。
・大人になって運動をやるとフィジカルな作用とメンタルな作用がいかに結びついているかがよくわかる。
・小説を書くのは、僕自身にとっても救いなんです。心が固くなるときって、誰にでもあるじゃないですか。すいうのを自分で開いていけるのは、一種の自己治癒でもある。
・小説を書くのは、僕にとってすごく大事なことなんです。それは自分の作品を生み出すことであると同時に、自分自身を変えて行く、自分自身をバージョンアップしていくことでもあるわけだから。
・たとえば嫉妬の感情って、僕はあまり経験したおとがないんです。
・有名でもなんでもなく、世間的にかたちになるようなことはしていなくても、そういうふうに生きている人はきっと少なからずいると思う。だから僕はそんなに悲観的ではないんです。いざとなれば表に出てくる力を持った人はちゃんといるんじゃないのかな。

1998年 49歳
・学生運動はその当時とても大きなムーブメントだったし、やはりその影響はあると思います。
・僕自身が最も理想的だと考える表現は、最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現することです。
・小説家としての僕は人に最も関心があるのです。
・身体を若くしておくのは精神にとって大事なことです。
・最も大事なのは、そうして出来上がった登場人物が、どれだけリアリティーを持っていて、読者の生き生きとした共感を呼ぶだろうかということです。

1997年 48歳
・想像力というのは、僕にとってもっとも重要な資質です。実際にそこに行くことで、想像力をスポイルされたくなかった。
・自由であること、どこにでも行って、何でも好きなことをする―それが僕にとっての最優先事項です。
・自分が収まっていられる領域がそのように増加するにつれて、「日本の作家」としての責任感みないなものを、僕はより強く感じるようになってきました。今もそれは感じていますし、それは僕が二年前に日本に戻って来た理由のひとつにもなっています。
・もしその物語が正しいものであれば、それは読者にものごとを判断するためのひとつのシステムを与えることができると僕は考えます。何が間違っていて、何が間違っていないかを認識するシステム。麻原はそういう強い力を持っていたようです。悪しき力を発揮する物語を与える力を。残念に思わないわけにはいかない。僕らが人々に対して、-とくに若い人々に対して-「善き物語」を十分に与えられてなかったことについて。
・何かについて描写するとき、僕は必ずその場に物理的に居合わせます。そこがどんな場所であるのか、僕には手にとるようにわかります。その暗闇を実感もします。そこにある奇妙な匂いを嗅ぐこともできる。もしそういうことができなければ、あなたは作家じゃないということになります。
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レポート
2010年10月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
明日を夢見て語っているわけではないのだろう。
それでも伝えたいことがあり、それを自分の言葉で語ってくれているのだ。
村上さんの年に追いつくことはできないけれども、村上さんの年代を経験することはできる。
自分は自分の抽斗をうまく整理して取り出すことはできないけど、取り出すためのヒントが隠されているように感じる。
非常に興味深すぎるインタビュー集なのだ。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年6月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
きれいな状態で、送料にもならないような値段で丁寧な包装で送っていただき恐縮です。もう出版されていない本なのでとても助かりました。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年7月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
村上春樹さんの作品は、とても好きなのですが、
どちらかと言えば、エッセイの方が好きです。

これは6年前に購入したインタビュー集ですが、
当時、食い入るように読んでしまいました。

ふだんは、あまりご自分の書いた作品のことを語らない著者ですが、
作品と作品のながれについて、これはあれの続編のつもりだったとか…ということが
語られていて、とても興味深いです。

そうか、じゃあ、もう一度、その流れで作品を読んでみようかなという気持ちになりました。
おすすめです。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年7月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「走っているときに僕のいる場所は、穏やかな場所です」

聞き手 マイク・グロッセカトヘーファー

DER SPIEGEL 2008年2月18日号 /ドイツ

p440

ー新しいスタートを切る時期だとわかったのはいつですか?

村上

 一九七八年の四月のことでした。僕は東京にある神宮球場で野球の試合を見ていました。太陽が照っていて、僕はビールを飲んでいました。ヤクルト・スワローズのデイブ・ヒルトンが完璧なヒットを打って、その瞬間に小説を書こうと思ったのです。気持ちの良い高揚感で、今でも胸にをれを感じることができます。そして今僕は、かつては得られなかった環境でパーソナルな目的を追求できるようになりました。テレビに出ることも、ラジオで話すこともなく、人前で自作を読むこともめったにしませんし、写真に撮られることもできるだけ避けていて、インタビューを受けるのもまれです。書くのが僕の仕事であり、それに集中したいので。
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2016年9月28日に日本でレビュー済み
村上さんの文庫本だけなのかもしれないが、以前文庫本には必ず“あとがき”、”解説”なるものがあって、もちろん例外的に役立つ内容が記されたものもあったのだが、おおよそはやっつけ仕事、率直に言えば「太鼓持ち」のような”怪説”がエラそうに掲載されていた。村上さんの文庫本の場合、そうした「文学評論家」のお仕事が金魚のフンのように付いていることはない。

この『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』では、最後のインタヴューである古川日出男と語っているのだが、村上氏がデビューした頃は、”文壇”なるものが存在して、隠然たる勢力を誇っていた、と言う。

”---------当時はね、作家と批評家と編集者がサークルみたいなものを組んで、機能しているような時代だったんですよ。----------僕は反文壇というわけじゃまったくないんだけれど、あんまりそういう付き合いが好きじゃなくて、人とはほとんど付き合わなかった。そうすると、その頃の文壇的な世界には、「友だちじゃなければ敵」っていうようなところがあって、僕みたいに「味方も求めず、敵も求めず」という原則でやってると、まわりにはほとんど敵しかできない状況になってくるんですね。あまり気にしないようにはしてたけど、場合によってはけっこうきつかったですね。-----------”

長い引用になったが、ある出版社が「近代文学選集」なるものを出版しようとしていたのだが、その選集の編集者の失礼な対応を村上さんが咎めたことについて、村上さんのあるエッセーに記されている。それだけが原因ではないかもしれないが、その編集者が後日入水自殺したことも述べられている。村上さん自身はあまり意識していなかったのかもしれないが、氏の立ち居振る舞いは当時の「文壇」にとっては、目の上のたん瘤だったに違いない。そうした軋轢が、彼が『ノルウェーの森』、『ダンス・ダンス・ダンス』をヨーロッパで、その当時日本はバブルの只中だった、『ねじまき鳥クロニクル』をアメリカで、記す大きな原因になったことに間違いはないだろう。

村上さんはこうして出版すれば必ず「売れる作家」になって、ノーベル文学賞の候補に必ず取り上げられるようになった。今年の賞が発表される時期も近づいてきたのだが、例年通り、村上さんはブックメイカーのOddsのトップに立っている。

ところで前述の古川氏のインタヴューには、「るつぼのような小説を書きたい」と題されているのだが、村上さんの小説でそのレヴェルに達したものがあったかどうかとなると、残念ながら見当たらない。特に『1Q84』、『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』になると、『ノルウェーの森』から『ねじまき鳥クロニクル』で感じられた新しい感性が失われているような気がして仕方ない。
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2015年3月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この厚さでこの価格、非常に良心的ですね。
彼のインタビュー集というだけあって簡潔な文章ですが、言っていることは深く、
簡単に吸収できるものではありません。集中力が必要です。
特に、古川日出男さんとの対談は、小説家の日々の作業、仕事への向かい方について
具体的に話されています。他のインタビューに比べて量も多いので、印象に残ります。
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レポート
2013年11月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
18本のインタビューを収めた単行本は2010年の出版だが、その翌年にスペインで受けた19本目のインタビューが文庫本には追加されている。

インタビューをしたバルセロナ通信社の女性記者に「書くことと音楽の関係」を問われ、「音楽を演奏するみたいに」小説を書く、と村上は答えている。

今ではストーリーテラーの巨匠もデビュー当時はさすがに「どうやって小説を書けばいいか分からなかった」。そして「リズムとハーモニーと即興性」に拠って書いてきたと手の内を明かす。だから「僕の物語を通じてあなたが音楽を聴きとってくれること」が著者の喜びなのだという。なるほど。国際的な名声を手中に収めた作家の余裕みなぎる言葉だ。

さて19本のインタビューのうちの何本かの冒頭には「リード」と呼ぶべき「解説文」が掲載されている。これがなかなか興味深い。

2005年のインタビュアーをつとめたアメリカの編集者ショーン・ウィルシーの長文のリードには、村上がデビュー作『風の歌を聴け』と第二作目の『1973年のピンボール』の出版をアメリカでは認めていないというくだりがある。その理由を村上が「作品として弱いから」と考えていることも紹介されている。要するに「リズムとハーモニーと即興性」がいまひとつで、耳に心地よく響かないということなのか。

そういえば、村上春樹本の解説でも知られる評論家の内田樹がこの初期二作品について「外国語訳を許可していない」と鼎談本『現代人の祈り』(サンガ新書)で明らかにしていたことを思い出した。筆者は内田樹のこの発言が何かの誤りではないかと疑い、『現代人の祈り』のカスタマーレビューで「真相解明」を求めたことがある。

しかし、今回『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』を読んで、真相に近づくことができた。内田センセイ、「外国語訳を許可していない」のではなくて、「アメリカでは英語版の出版を認めていない」ということらしいですよ。

なにはともあれ、1997年から2011年までの14年間に村上春樹という作家がどのように進化を遂げていったのか、そのプロセスがわかる本です。

なんとなく、明日から目覚めがよくなるような気がしてきました。
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