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復興の精神 (新潮新書 422) 新書 – 2011/6/9
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- 本の長さ207ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2011/6/9
- ISBN-104106104229
- ISBN-13978-4106104220
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商品の説明
著者について
一九三七(昭和十二)年神奈川県鎌倉市生まれ。六二年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。九五年東京大学医学部教授を退官し、現在東京大学名誉教授。著書に『唯脳論』『バカの壁』『養老孟司の大言論』など、専門の解剖学、科学哲学から社会時評まで多岐に渡る。
茂木健一郎(もぎけんいちろう)
一九六二(昭和三十七)年東京生まれ。脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程を修了、理学博士。著書に『脳と仮想』『ひらめき脳』『生命と偶有性』など。
山内昌之(やまうちまさゆき)
一九四七(昭和二十二)年札幌市生まれ。北海道大学卒。東京大学大学院総合文化研究科教授。学術博士(東京大学)。著書に『帝国と国民』『ラディカル・ヒストリー』『嫉妬の世界史』『幕末維新に学ぶ現在』(1・2)など。二〇〇二年に司馬遼太郎賞、二〇〇六年紫綬褒章を受ける。
南直哉(みなみじきさい)
一九五八(昭和三十三)年長野県生まれ。禅僧。早稲田大学文学部卒業後、サラリーマン生活を経て、八四年曹洞宗で出家得度。二〇〇五年から青森県恐山の院代(山主代理)に。福井市霊泉寺住職。著書に『老子と少年』『人は死ぬから生きられる』(茂木健一郎氏との共著)など。
大井玄(おおいげん)
一九三五(昭和十)年生まれ。東京大学名誉教授。東大医学部卒業後、ハーバード大学公衆衛生大学院修了。東大医学部教授などを経て国立環境研究所所長を務めた。著書に『「痴呆老人」は何を見ているか』『人間の往生』など。現在も臨床医として終末期医療全般に取り組む。
橋本治(はしもとおさむ)
一九四八(昭和二十三)年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。イラストレーターを経て七七年、小説『桃尻娘』を発表。以後、小説・評論・戯曲・エッセイ・古典の現代語訳など多彩な執筆活動を行う。著書に『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』『巡礼』『リア家の人々』など。
瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)
一九二二(大正十一)年徳島生まれ。東京女子大学卒。五七年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞受賞。一九七三年平泉中尊寺で得度。著書に『比叡』『かの子撩乱』『現代語訳 源氏物語』『秘花』など。二〇〇二年『瀬戸内寂聴全集』が完結。二〇〇六年文化勲章を受章。
曽野綾子(そのあやこ)
一九三一(昭和六)年東京生まれ。作家。聖心女子大卒。ローマ法王庁よりヴァチカン有効十字勲章を受章したのをはじめ、日本芸術院恩賜賞ほか多数受賞。二〇〇三年に文化功労者。著書に『無名碑』『誰のために愛するか』『アラブの格言』『老いの才覚』など。
阿川弘之(あがわひろゆき)
一九二〇(大正九)年広島県生まれ。東京大学国文科を繰上げ卒業、海軍に入り、中国で終戦。戦後、志賀直哉に師事し、『春の城』、『雲の墓標』、『山本五十六』『米内光政』『井上成美』の海軍提督三部作の他、随筆に『食味風々録』、近著に『大人の見識』など。一九九九年、文化勲章を受章。
About this Title
このようなときに何をすればいいのだろうか。このようなときに何かすべきなのだろうか。このようなときに編集などという仕事に意味があるのだろうか。
あの日からしばらくの間、大きな被害を受けたわけでもなく、せいぜい机をきちんと片付けなかったツケを払わされた程度だったにもかかわらず、それでもさまざまな疑問が浮かんできました。いや、疑問が浮かんだなどと言うと格好をつけすぎで、実際のところはあわてふためき、不安におののいていたというのが情けない実態でした。
そこから少し落ち着いてくると、これまで本を書いていただいたなかに、このようなときにこそ話を聞いてみたい方がたくさんいることに気づきました。
このようなときに何をすればいいのでしょうか。このようなときに何を考えればいいのでしょうか。このようなときに私たちは何を伝えればいいのでしょうか。
そんな話をうかがってみたくなったのです。
「がんばろう」「団結しよう」「希望を持とう」といった短いメッセージに異を唱えるつもりはありません。新聞や雑誌によるジャーナリスティックな視点からの提言の意味も、電波メディアやネットが伝える速報の意義も日々、感じています。
でも、もう少しじっくりと話を聞いてみたい、読んでみたい。
読者のためという以前に、自分たちがそう考えたのです。そして水を欲するのと同様に、そうした話を欲している人が他にもいるはずだ、と。
ありがたいことに、多くの方が、唐突で性急でなおかつあわて気味の依頼にもかかわらず、快く応じてくださいました。
普段にも増して慌しく大変な時期なのに、普段にも増して熱のこもった原稿を、お話をいただくことができました。
そうしてできたのがこの本です。
これから何をすればいいのか。
これから何を考えればいいのか。
これからどう生きていくべきか。
この本がそれを考える一助となればと思います。
二〇一一年五月
新潮新書編集部
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2011/6/9)
- 発売日 : 2011/6/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 207ページ
- ISBN-10 : 4106104229
- ISBN-13 : 978-4106104220
- Amazon 売れ筋ランキング: - 786,235位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,398位新潮新書
- カスタマーレビュー:
著者について
東京生れ。1954(昭和29)年聖心女子大学英文科卒業。
同年発表の「遠来の客たち」が芥川賞候補となる。『木枯しの庭』『天上の青』『哀歌』『アバノの再会』『二月三十日』などの小説の他、確固たる人間観察に基づく、シリーズ「夜明けの新聞の匂い」などのエッセイも定評を得ている。他に新書『アラブの格言』などがある。1979年ローマ法王よりヴァチカン有功十字勲章を受ける。1993(平成5)年日本藝術院賞・恩賜賞受賞。1995年12月から2005年6月まで日本財団会長。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
1962年、東京生まれ。脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、慶應義塾大学特別研究教授。東京大学理学部、法学部卒業後、 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。専門は脳科学、認知科学。2005年、『脳と仮 想』で、第4回小林秀雄賞を受賞。2009年、『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 15歳の寺子屋 ひとり遊びのススメ (ISBN-13: 978-4062162678 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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大きく変わってきている。
しかし、自分は何ができるのか?と問うても
具体的な答え、ビジョンが見つからない
私のような人も多いと思う。
そんなときに、これからの日本で生きていくための
ヒントとなる言葉が見つかる本だった。
しかし新書という読みやすいスタイルが
良い一方、もう少しボリューム、読み応えが
欲しいと感じたのも事実。
著者はいかにも「新潮」という人選。
そのため、誰がどんなことを書いているか
なんとなく読めてしまう。
共感できる部分も多いと思います。
ぜひご一読を。
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◆p.98〜108(南直哉)
(「共にある」「元気を与える」という)これら紋切り型の言葉は、何も言えない人間が、それでも何かを言うことを迫られて、他にどうしようもなく使うとき、…言えないという無力さの自覚があって、言うことが許されるのだ。……ある圧倒的な現実に直面したものが、その無力さにおいて、かろうじて発する言葉ことこそ祈りである。……「融通と節制」を、やむをえない我慢などではなく、我々の選択した意志として、結実させなければならない…そのためにどうしても必要なのは…他者との断絶において思い知る無力さを、再び自覚することなのだ。
◆p.129(大井玄)
明治初期のベルツや、今回外国人が感銘を受けた災害後の平均的日本人の行動がよく似ているとすれば、…それは江戸時代鎖国日本において完成されているから、「閉鎖系倫理意識」と呼ぶことができよう。…狭く資源の乏しい環境で、勤勉に働き、妥協を重ね、争わずに生きる間に作られた生存戦略意識である。
◆p.169(橋本治)
統一地方選挙なんかよりも、私は総選挙というものをやった方がいいと思う。戦後の焼け跡の中で、日本人は「新しい政治家を選びだす」ということをやったのだ。その結果が玉石混淆だったとしても、我々はもう一度、本当に日本の国のあり方を考え直すために、政治家を選び直すべきだと思う。そして、長い時間をかけて、政治家を育てて行くべきだと思う。
◆p.178(瀬戸内寂聴)
(被災者の皆さま、)どうか緊張と不安を少しでもいたわり、控えめでつつましい忍耐強い日頃の美徳を解放して、わがままになってください。あなたたちの犠牲の上に、難を逃れた私たちは日夜、夢の中までも、命の恩人のあなたたちの御苦労を分け持たせてほしいと、切に願い祈り続けているのです。
図書館本
9人の方の雑誌・新聞への掲載、および書下ろし。
南直哉さんの文章に惹かれました。どこか養老さんの言う脳化社会をかみ砕いているようで。
養老さんは精神の復興需要が起きる、というタイトルで書かれている。
東京電力の仕事をしたことがあり、その時にエネルギーの使い過ぎにどうやってプレーキをかけるべきかという質問を重役にぶつけてみたとあります。その時の答えが「法律で電気の供給する義務を負わされていますから」と答えたという。しかし法律が出来た時の趣旨は多分まったく違っていたのだろうと養老さんは指摘する。
電気の使いたい放題という状況を見張るのが政治家であり、本当に世の中のためになるかを考えるのが専門家での義務であると。
ところが多くの専門家は、往々にして単純に自分のかかわっている分野だけが発展することを考えてしまう。これが大きな問題だと。
原発事故での東電の対応はガダルカナル。場当たり的な戦力の逐次投入にすぎなかった。
人生は「答え」、じゃあその質問とは何か。これこそ、それぞれの自分の頭で考えていくべきことなのです。
山内昌之
「言志録」より、私欲があってはいけない。公欲が無くなってもいけない。公欲が無ければ、人を許すこともできない。私欲があれば、物事に思いやりをもつことも出来ない。
南直哉
無力者の視線
ブッタの述懐とされることば。
愚かな凡人は自分も老いるものであり、老い越えることができないのに、他人が老いたのを見て、自分だけやり過ごし、戸惑い、閉口し、忌避する。私もまた老いるものであり、老いを超えることができない。老いるものであり、老いを越えることができない私が、他人が老いたのを見て、自分だけやり過ごし、戸惑い、閉口し、忌避するとしたなら、それは私にはふさわしいことではない。
人間の挫折。この長い忘却を、我々はずっと「進歩」「発展」「成長」と呼んできた。それらは、要するに、できるだけ「すべてを自分の思いどおりにしよう」という意志を、金と道具、つまり資本と科学技術がひたすら追いかけていくことである。私はいま、「意志」と言い、あえて、「欲望」と言わなかった。なぜなら、我々は単に「思いどおりにしたい」というだけでなくて、それを「自由と名づけ、それを「平等」に分配する社会を「民主的」と呼んで、目指すべき価値としてきたからである。つまり「みんなで思いどおりにしよう」と合意していたからだ。それは「欲望」ではなく、あきらかに「意志」である。この意志こそが、近代以降「神」から離脱した「人間」の存在に、価値と意味を重点する根拠だったのだ。中略 つまり「進歩」「成長」を修正する理念を提出する必要があるのである。それは平穏で持続しやすい生活と社会を目指すことかもしれない。もしそうなら、「みんなで思いどおりにする」のではなく、「互いに融通しあうことで、互いに節制する」という意志が求められる。
「みんなで思いどおりにしよう」とする社会においては、人命救助の瀬戸際で、そして、おそらくは原発事故の現場で、この問いが露出したまま、答えられないのはむろん、誰も決断できない。奇特な誰かの「命がけの勇気」「尊い犠牲」を待ち望み、讃嘆するばかりである。それがこの社会の当然で、恥ずべき成り行きなのだ。
阿川弘之
なぜかしらないけど、北朝鮮からの見舞金に触れて、日本が必要最小限の核武装をすべきだとご主張。
99.9%実際には使えない抑止力として。だそうです。
日本にプルトニウムがどれだけあるのかご存じないのだろうか?すでに機微技術として核保有国でしょう、日本は。
読者 (としての私) からみれば,共感をおぼえる意見もあれば,嫌悪を感じる意見もあるだろう. 自分にちかい意見にちからづけられることもあれば,自分とはちがう意見からまなぶこともあるだろう. しかし,ひとびとはすくなくともこれだけの幅のあるかんがえをもっているということを知るべきだ. 東北をそして日本を復興させるためには,そういうかんがえをまとめていく必要があるということになるのだろう.
本書の中での養老孟司氏は、自分の利益のみを追求するのではなく、公に対して貢献することが必要と述べていた。
今一番必要なのはそれだと思う。
人それぞれの立場でできることを考えて実行に移すべきである。
例えば時間があってお金もあるような年輩夫婦は、被災地へ旅行へ出かけてそこにお金を落とすことで、東北経済
へ貢献するとか。または主婦であれば節約一辺倒ではなく、たまには贅沢な食材を購入して日本経済へ貢献すると
か、それぞれの立場で少しずつ公に対して貢献する気持ちを持てば、大きな復興のきっかけを作り得ると思う。
福島原発で作業を行っている作業員に対して、大井玄氏は、彼らに対してどのようにして報いることができるだろ
うと。感謝の念を語っている。しかし本当に自らを犠牲にして社会へ貢献しなければならないのは、日本を動かし
ているリーダー達であろう。国民は日本のリーダー達が命を賭けて日本を救おうとしている姿を見て奮い立つに違
いない。それが日本を一つにして人々を結束させる。今日本のリーダー達に求められているのはこのリーダーシッ
プであると思う。
阿川弘之氏は犠牲になった人々の命を無駄にしないということを書いている。
まさにそれはこの震災から我々はどれだけ学ひ取れるかに掛かっている。