
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
チョムスキーの「アナキズム論」 単行本 – 2009/1/30
ノーム チョムスキー
(著),
木下 ちがや
(翻訳)
- 本の長さ447ページ
- 言語日本語
- 出版社明石書店
- 発売日2009/1/30
- ISBN-104750329223
- ISBN-13978-4750329222
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 明石書店 (2009/1/30)
- 発売日 : 2009/1/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 447ページ
- ISBN-10 : 4750329223
- ISBN-13 : 978-4750329222
- Amazon 売れ筋ランキング: - 623,998位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2009年3月11日に日本でレビュー済み
すべて本邦初訳というわけではないが、アナキストとしてのチョムスキーにとって主著となるものだと思う。
特に以下は重要だ。
第 1 章 ベトナム戦争とスペイン革命――客観性とリベラルな学問
――Objectivity and Liberal Scholarship [1969]――
第 2章 言語と自由
――Language and Freedom [1970]――
これらの邦訳は古書だと別々に入手する必要があったが、まとめてくれたことはありがたい。
スペイン革命については、先行研究を概括しただけだが、その今日的価値はこうしたチョムスキーの記述に沿った形の方がわかりやすいだろう。
その記述の政治主義的な傾向は、ベトナム戦争に対しては有効でも、社会革命としてのスペイン革命を隠蔽してしまう危険もあるが、基本的な文献として、あるいは入門書としての価値を本書が持つことは疑い得ない。
もう少し安価であれば実際に社会活動をする人たちの勉強会のテクスト等に最適だったのだが、、、、、
(以下、出版社サイトより)
◆内容構成
序文(チャールズ・ワイグル)
――Preface――
はじめに(バリー・ペイトマン)
――Introduction――
第 I 章 ベトナム戦争とスペイン革命――客観性とリベラルな学問
――Objectivity and Liberal Scholarship [1969]――
第 II章 言語と自由
――Language nd Freedom [1970]――
第III章 アナキズムについて
――Notes on Anarchism [1970]――
第 IV章 アナルコ・サンディカリスムの今日的意義
――The Relevance of Anarcho-Syndicalism (Interview) [1976]――
第 V 章 『アナキズム論集』への序文
――Preface to Antologija anarhizma [1986]――
第VI 章 「民主主義の脅威」は封じ込めることができるか
――Containing the Threat of Democracy [1990]――
第VII章 アナキズム、マルクス主義、未来への希望
――Anarchism, Marxism and Hope for the Future (Interview) [1995]――
第VIII章 目標とビジョン
――Goals and Visions [1996]――
第IX章 アナキズム、知識人、そして国家
――Anarchism, Intellectuals and the State (Iterview) [1996]――
第 X章 バリー・ペイトマンとの対話
――Interview with Barry Pateman [2004]――
第XI章 ジガ・ボドヴニクとの対話
――Interview with Ziga Vodovnik [2004]――
人物一覧
訳者あとがき
追記:
チョムスキーの政治思想に関してはさらに、初期の"Government in the Future"の翻訳が待たれる。
特に以下は重要だ。
第 1 章 ベトナム戦争とスペイン革命――客観性とリベラルな学問
――Objectivity and Liberal Scholarship [1969]――
第 2章 言語と自由
――Language and Freedom [1970]――
これらの邦訳は古書だと別々に入手する必要があったが、まとめてくれたことはありがたい。
スペイン革命については、先行研究を概括しただけだが、その今日的価値はこうしたチョムスキーの記述に沿った形の方がわかりやすいだろう。
その記述の政治主義的な傾向は、ベトナム戦争に対しては有効でも、社会革命としてのスペイン革命を隠蔽してしまう危険もあるが、基本的な文献として、あるいは入門書としての価値を本書が持つことは疑い得ない。
もう少し安価であれば実際に社会活動をする人たちの勉強会のテクスト等に最適だったのだが、、、、、
(以下、出版社サイトより)
◆内容構成
序文(チャールズ・ワイグル)
――Preface――
はじめに(バリー・ペイトマン)
――Introduction――
第 I 章 ベトナム戦争とスペイン革命――客観性とリベラルな学問
――Objectivity and Liberal Scholarship [1969]――
第 II章 言語と自由
――Language nd Freedom [1970]――
第III章 アナキズムについて
――Notes on Anarchism [1970]――
第 IV章 アナルコ・サンディカリスムの今日的意義
――The Relevance of Anarcho-Syndicalism (Interview) [1976]――
第 V 章 『アナキズム論集』への序文
――Preface to Antologija anarhizma [1986]――
第VI 章 「民主主義の脅威」は封じ込めることができるか
――Containing the Threat of Democracy [1990]――
第VII章 アナキズム、マルクス主義、未来への希望
――Anarchism, Marxism and Hope for the Future (Interview) [1995]――
第VIII章 目標とビジョン
――Goals and Visions [1996]――
第IX章 アナキズム、知識人、そして国家
――Anarchism, Intellectuals and the State (Iterview) [1996]――
第 X章 バリー・ペイトマンとの対話
――Interview with Barry Pateman [2004]――
第XI章 ジガ・ボドヴニクとの対話
――Interview with Ziga Vodovnik [2004]――
人物一覧
訳者あとがき
追記:
チョムスキーの政治思想に関してはさらに、初期の"Government in the Future"の翻訳が待たれる。
2011年1月24日に日本でレビュー済み
386頁の次の一節、
「正常な人間の情操とは共感と連帯であり、〔これらは〕人間にはあり、浜辺に乗り上げたイルカにはありません。それはまさに人間の正常な反応なのです」
の原書の該当個所は、次のようになっている。
Normal human emotions are sympathy and solidarity, not just for people but for stranded dolphins. It's just a normal reaction for people. (p. 223)
not just...but〜という、よく見られる構文である。
これがfor people/for stranded dolphinsに対してかかっている。
したがって、次のような意味である。
「正常な人間の感情は共感と連帯で、人に対してだけでなく、岸に乗り上げたイルカに対しても抱かれます。
それが人間の正常な反応なのです。」(評者仮訳)
チョムスキーはイルカの"emotions"については触れていない。
なお、巻末の人物一覧のうち、バートランド・ラッセルがノーベル平和賞を受賞したという記述は誤りで、
受賞したのはノーベル文学賞である(ノーベル財団HP参照)。
装丁は大変素晴らしい。
原書は次から引用。
Noam Chomsky and Barry Pateman (2005). Chomsky on Anarchism. 1st ed. (Edinburgh: AK Press). [ISBN 9781904859260]
「正常な人間の情操とは共感と連帯であり、〔これらは〕人間にはあり、浜辺に乗り上げたイルカにはありません。それはまさに人間の正常な反応なのです」
の原書の該当個所は、次のようになっている。
Normal human emotions are sympathy and solidarity, not just for people but for stranded dolphins. It's just a normal reaction for people. (p. 223)
not just...but〜という、よく見られる構文である。
これがfor people/for stranded dolphinsに対してかかっている。
したがって、次のような意味である。
「正常な人間の感情は共感と連帯で、人に対してだけでなく、岸に乗り上げたイルカに対しても抱かれます。
それが人間の正常な反応なのです。」(評者仮訳)
チョムスキーはイルカの"emotions"については触れていない。
なお、巻末の人物一覧のうち、バートランド・ラッセルがノーベル平和賞を受賞したという記述は誤りで、
受賞したのはノーベル文学賞である(ノーベル財団HP参照)。
装丁は大変素晴らしい。
原書は次から引用。
Noam Chomsky and Barry Pateman (2005). Chomsky on Anarchism. 1st ed. (Edinburgh: AK Press). [ISBN 9781904859260]
2009年10月1日に日本でレビュー済み
その名の通り古今様々な形で発表されたチョムスキーのアナキズム論だけを抜き出して集めたアンソロジー本。インタビューや対談や論文やらがいくらか雑多に詰め込まれたような内容となっている。役者も指摘するように多くの内容に重複が見られ通読すると同じ主張に何度も出くわす事もあるが、これは逆に言えばより確実に彼の重要な主張を理解するため役立つ事とも言える。論文もさして難しいものではないが四つほど収録されたインタビューが最も平易かつ迅速に彼の考えを知るために適していると個人的には思う。
アナキズムとはよく分からない思想だ。それはまず何より自由を第一に考える思想であり、マルクス主義以上に国家を敵視する思想であり、では個人主義の思想かと言えば非常に集団性や共同性を重視するアナキストも多く所謂アトム的な自我観を否定し、人間が本質的に社会的な存在である事を強調するアナキストも多い。また資本主義に反対するアナキストも多い中で現代のアナキズムと呼ばれるリバタリアニズムはバリバリの資本主義礼賛思想ときている。実際その内実は多種多様、アナキズムを口にする人の数だけアナキズムがあるとまで言われる。そんな中で著者がとっている立場は、長期的には国家の廃絶を理想的と見るが、国家の廃絶が飢えと虐げをもたらし、国家が存在する事でそれを防止することが可能なうちは、一時的に福祉国家を志向すべしという種類のアナキズムであるようだ。「リバタリアン社会主義」と呼ばれるそれがあくまでアナキズムである所以は恐らくその原理として「十分に正当化できない制限、権力は悪であり退けられねばならない」という思想が置かれているからだろう。
だが長期的には国家廃絶などというアナキストらしい理想を掲げていても短期的あるいは現実的には単なる福祉国家的な自由と平等を求めるのであれば例えばリベラルなどとどこがそんなに違うのかは私の浅い読みではあまりよく分からなかった。また彼は民主主義を嫌うアナキストもいるという指摘を受けて、あるコミュニティに所属しているならばその中の法律や民主的決定には従うべしという基本方針をも提示しており、それに抗うというのなら余程の正当化が必要だとまで言っている。これは度を越さない常識的な自由の主張と見える一方で、実はその内実は一定の保守性を帯びており実は自由主義者としてそこまで徹底した自由への意志があるわけではないのではないかという邪推も許してしまう余地がある。無論この答えを呼び出したのはインタビュアーの民主主義は全て不当であるとするアナキストもいますが、という質問であったわけでこれに対してこういった答えでない答えをするということは、それは一種の民主主義の否定となってしまうため発言に慎重になるのは分かる事である。だがどうだろうか、少なくともあるコミュニティの民主的決定なら余程(それでその余程とはどう決められる基準なのだろう)でなければ抗ってはならないという常識的な思考はやはり自由主義として詰めが甘い、不徹底である気もする。またその「余程」の判断基準についても本書全体を通じてなんらちゃんとは語られておらず、これでは実際的な有効性に欠ける。ただ漠然と人は自由であるべきで、正当性なき権力は排除されるべきだと表明しつつ、余程の正当性がなければ多数意見には従わなければいけない、でも余程の基準は分からないなどと言っていては、現実の問題に当る際なにかと困る事になるだろう。
またかすかに感じる保守性といえば、現代一定の年齢以下の人には広く日常的な存在となったインターネットやゲームといったものに対してやたらと不快感、不満の意を示している点だ。無論彼は良心的な人なので、こう言って新しい文化を否定するのもどうかと思うが…という謙虚な構えは見せつつも、やはり本音としては否定的な念を拭えないという具合でそれらを批判している。曰く彼らは架空の関係に没入しており虚構の人間と話している。もっと外に出て実際の人間と話すべき云々。非常にありがちな、自分に馴染みがない新しいものはとりあえず否定しておくという種類の保守的見解に思えるが、これは世代的な限界と言えるのかもしれない。
本書を一読した印象は、実質的にリベラルとそう変わらないのでは、というものとアナキズムといっても言っている事はかなり常識的であり、思ったよりずっと普通の事しか言っていないかなというもの。大雑把な理念としては分かるがこの理論であらゆる事が説明出来るというほどには具体的に語られているとは思わない。例えば自由自由と言うけどそれをどこまで認めるのか、どういう自由が認められる自由でどこからがどうだ、矛盾する自由はどうだ、余程の理由がなければ法は拒否できないと言うがその余程とはなんだといった複雑で困難でかつ絶対的に論じる必要がある重大な問題になると「それはとても難しい問題です」とかそんな事だけを言って逃げてしまっている嫌いがある。インタビューなどでそこまで語るのは無理があるということかもしれないが、少なくとも分厚い本書を一読してもそういった具体的で切実で深刻な問題についての著者の明白な答えは得られないのである。ただ抽象的に、正当化されない権力は廃棄されるべし、人はみな自由であるべし、飢えを容認するくらいなら福祉に力を入れるべしといった、なんとも善良で常識的で平凡な言葉、正論が語られるばかりなのである。私はそういった理念に反対するわけでは全くない。むしろ自由主義の頼もしい味方であるとは思う。ただもう少し具体性が欲しかったところ。
アナキズムとはよく分からない思想だ。それはまず何より自由を第一に考える思想であり、マルクス主義以上に国家を敵視する思想であり、では個人主義の思想かと言えば非常に集団性や共同性を重視するアナキストも多く所謂アトム的な自我観を否定し、人間が本質的に社会的な存在である事を強調するアナキストも多い。また資本主義に反対するアナキストも多い中で現代のアナキズムと呼ばれるリバタリアニズムはバリバリの資本主義礼賛思想ときている。実際その内実は多種多様、アナキズムを口にする人の数だけアナキズムがあるとまで言われる。そんな中で著者がとっている立場は、長期的には国家の廃絶を理想的と見るが、国家の廃絶が飢えと虐げをもたらし、国家が存在する事でそれを防止することが可能なうちは、一時的に福祉国家を志向すべしという種類のアナキズムであるようだ。「リバタリアン社会主義」と呼ばれるそれがあくまでアナキズムである所以は恐らくその原理として「十分に正当化できない制限、権力は悪であり退けられねばならない」という思想が置かれているからだろう。
だが長期的には国家廃絶などというアナキストらしい理想を掲げていても短期的あるいは現実的には単なる福祉国家的な自由と平等を求めるのであれば例えばリベラルなどとどこがそんなに違うのかは私の浅い読みではあまりよく分からなかった。また彼は民主主義を嫌うアナキストもいるという指摘を受けて、あるコミュニティに所属しているならばその中の法律や民主的決定には従うべしという基本方針をも提示しており、それに抗うというのなら余程の正当化が必要だとまで言っている。これは度を越さない常識的な自由の主張と見える一方で、実はその内実は一定の保守性を帯びており実は自由主義者としてそこまで徹底した自由への意志があるわけではないのではないかという邪推も許してしまう余地がある。無論この答えを呼び出したのはインタビュアーの民主主義は全て不当であるとするアナキストもいますが、という質問であったわけでこれに対してこういった答えでない答えをするということは、それは一種の民主主義の否定となってしまうため発言に慎重になるのは分かる事である。だがどうだろうか、少なくともあるコミュニティの民主的決定なら余程(それでその余程とはどう決められる基準なのだろう)でなければ抗ってはならないという常識的な思考はやはり自由主義として詰めが甘い、不徹底である気もする。またその「余程」の判断基準についても本書全体を通じてなんらちゃんとは語られておらず、これでは実際的な有効性に欠ける。ただ漠然と人は自由であるべきで、正当性なき権力は排除されるべきだと表明しつつ、余程の正当性がなければ多数意見には従わなければいけない、でも余程の基準は分からないなどと言っていては、現実の問題に当る際なにかと困る事になるだろう。
またかすかに感じる保守性といえば、現代一定の年齢以下の人には広く日常的な存在となったインターネットやゲームといったものに対してやたらと不快感、不満の意を示している点だ。無論彼は良心的な人なので、こう言って新しい文化を否定するのもどうかと思うが…という謙虚な構えは見せつつも、やはり本音としては否定的な念を拭えないという具合でそれらを批判している。曰く彼らは架空の関係に没入しており虚構の人間と話している。もっと外に出て実際の人間と話すべき云々。非常にありがちな、自分に馴染みがない新しいものはとりあえず否定しておくという種類の保守的見解に思えるが、これは世代的な限界と言えるのかもしれない。
本書を一読した印象は、実質的にリベラルとそう変わらないのでは、というものとアナキズムといっても言っている事はかなり常識的であり、思ったよりずっと普通の事しか言っていないかなというもの。大雑把な理念としては分かるがこの理論であらゆる事が説明出来るというほどには具体的に語られているとは思わない。例えば自由自由と言うけどそれをどこまで認めるのか、どういう自由が認められる自由でどこからがどうだ、矛盾する自由はどうだ、余程の理由がなければ法は拒否できないと言うがその余程とはなんだといった複雑で困難でかつ絶対的に論じる必要がある重大な問題になると「それはとても難しい問題です」とかそんな事だけを言って逃げてしまっている嫌いがある。インタビューなどでそこまで語るのは無理があるということかもしれないが、少なくとも分厚い本書を一読してもそういった具体的で切実で深刻な問題についての著者の明白な答えは得られないのである。ただ抽象的に、正当化されない権力は廃棄されるべし、人はみな自由であるべし、飢えを容認するくらいなら福祉に力を入れるべしといった、なんとも善良で常識的で平凡な言葉、正論が語られるばかりなのである。私はそういった理念に反対するわけでは全くない。むしろ自由主義の頼もしい味方であるとは思う。ただもう少し具体性が欲しかったところ。