著者は『横山ロジカルリーディング講義の実況中継』(語学春秋社)
などで、とりわけ大学受験生の間で知られている英語講師である。
氏の<英文解釈>指導の特色は、課題文は”何を主張しているのか”
(claim)、”その主張を正当化する事実は何か”(data)、そして
”その事実をあげる根拠は何か”(warrant) という視点から分析
するところにあり、これは氏自身が学生時代に傾倒した英語による
ディベートのロジックに多くを負っている。
かつて、英語コミュニケーションにおいてはロジックが大切で
あることは 英語道提唱者・松本道弘氏も指摘してはいたが、
同氏には いささか ”名人芸”的なところがあって、消化
するのが難しかった。
横山氏は<英文解釈>指導において ロジックを切り口とした
読み方を 高校生や大学受験生にもわかるように”マニュアル化”
したわけである。
本書は、そのような<英文解釈>指導の経験を生かして、氏の
メソッドを 今度は 日本語の<現代文>講読に応用した入門書
である。 もっとも、新書という制約上からか、”序論”を
丁寧に展開しているため、前述の『横山ロジカルリーディング
講義の実況中継』を既に読んでいる人や もっとトレーニングを
期待している人には 物足りなさも若干残るかもしれない。
とはいえ、新書でのメソッド公開を評価して ★5つ。
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高校生のための論理思考トレ-ニング (ちくま新書 604) 新書 – 2006/6/1
横山 雅彦
(著)
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- ISBN-104480063056
- ISBN-13978-4480063052
- 出版社筑摩書房
- 発売日2006/6/1
- 言語日本語
- 本の長さ215ページ
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著者について
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1964年兵庫県生まれ。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程修了。筑波大学大学院博士課程哲学・思想研究科中退。専門は地域研究(アメリカ)、宗教史学。ECC外語学院一般英会話講師を経て、トフルアカデミー・ソフィア早慶予備校講師、SPS(スーパー・プレップ・スクール)英語科主任、東進ハイスクール・東進衛星予備校講師を歴任。独自に体系化した「横山雅彦のロジカル・リーディング®」による幅広い英語教育・言語論理教育を展開している。
横山雅彦のロジカル・リーディング公式サイト
http://logicalreading.jp
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年8月3日に日本でレビュー済み
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2013年3月31日に日本でレビュー済み
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一度も読まれていないような感じでとてもきれいでした。
読むだけであれば十分満足できます。
読むだけであれば十分満足できます。
2013年1月16日に日本でレビュー済み
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「論理思考」 といっても,ほとんどディベートの方法とくに 「論証責任」 とか 「クレーム」 という概念を中心に説明している (と書いても意味がわからないだろうが,この本を読んでもらう必要があるだろう).
タイトルに 「高校生のための」 とある. しかし,最後の章には入試問題がとりあげられているが,それまではかならずしも高校生がこの本を読むモティベーションがないようにおもえる. 最初の 100 ページくらいはトレーニングではなくて,論理によわい日本人と日本語を英語とくらべた評論的な内容だが,それを読むうちにモティベーションをもってもらいたいということかもしれない. トレーニングの本とおもわなければ,そこを読むだけでも価値があるとおもう.
タイトルに 「高校生のための」 とある. しかし,最後の章には入試問題がとりあげられているが,それまではかならずしも高校生がこの本を読むモティベーションがないようにおもえる. 最初の 100 ページくらいはトレーニングではなくて,論理によわい日本人と日本語を英語とくらべた評論的な内容だが,それを読むうちにモティベーションをもってもらいたいということかもしれない. トレーニングの本とおもわなければ,そこを読むだけでも価値があるとおもう.
2013年7月20日に日本でレビュー済み
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英文と現代文との比較など、論理的な考えを学習できた。高校生だけでなく社会人にもためになる本。
2008年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、現代国語成立の歴史的、宗教的および文化的背景を紐解きつつ、英語との対比から「日本語による論理トレーニング」を目指した意欲的な一冊である。
空手道師範と予備校のカリスマ英語講師という二つの顔を併せ持つ著者が用いる道具立ては、三角ロジック。これはディーベートの基本で、主張(claim)、事実・根拠(data)、論拠(warrant)という三要素から成るロジックの基本構造だと言う。「もともと日本語には論理は存在しない」ということを大前提に、ロジカルそのものである英語を解釈する観点から現代文を逆照射することで、日本語の論理運用を鍛えるという主張は新鮮で理解しやすい。そして、論証責任を伴わない主張がただの放言であって、論議を阻害するばかりでなく、外国人には如何に無責任に感じられるかが身に凍みてよく理解できる構成となっている。
空手道師範と予備校のカリスマ英語講師という二つの顔を併せ持つ著者が用いる道具立ては、三角ロジック。これはディーベートの基本で、主張(claim)、事実・根拠(data)、論拠(warrant)という三要素から成るロジックの基本構造だと言う。「もともと日本語には論理は存在しない」ということを大前提に、ロジカルそのものである英語を解釈する観点から現代文を逆照射することで、日本語の論理運用を鍛えるという主張は新鮮で理解しやすい。そして、論証責任を伴わない主張がただの放言であって、論議を阻害するばかりでなく、外国人には如何に無責任に感じられるかが身に凍みてよく理解できる構成となっている。
2009年11月27日に日本でレビュー済み
論理とは英語のことだ、という内容の本。ここで言う「論理」とは、いわゆるロジカルリーディングとか論理的に話しましょう、とか言うときの「論理」。論理学のことではないので、排中律とか対偶とかいうような用語は出てこない。
論理とは英語という言語(の運用習慣)に染みついているもので、日本語には本質的にはなじまない。しかし、翻訳文化の発達した日本では、日本語にある程度の論理性を取り込まざるをえなかった。それは、日本語(日本文化)を破壊するものでももあった。そして…、
以下、内容紹介(要約)。
英語では常に、明確に主張を述べなければならない。なるべく言わないで察してもらおうとする日本語とは根本的に違う。日本では、配られたプリントが足りないときに「足りません」と言うと、もう一枚もらえる。これが日本語の(察するという)心。英語では、足りないではなく、「もう一枚ください」と言わなければならない。これが英語の(ロジックという)心。
英語によるコミュニケーションは議論(ディベート)というかたちで行われる。要求なり判断なりを常に明確に主張(クレーム)しなければならず。クレームには論証責任がともなう。論証はデータとワラント(そのデータを用いる根拠)から成り立つ。
例:「UFOは実在する」 クレーム
「イチローが見たと言っている」 データ
「イチローは正直だ」 ワラント
対話相手は、データかワラントに対して反論しなければいけない。これは、「UFOは実在しない」とクレームに攻撃すると水掛け論になってしまうので、「イチローが見た」とか「イチローは正直だ」とかの根拠のほうを崩しにいかないと議論にならない、ということ。
論文は一人ディベートだから、クレーム・データ・ワラントのかたまりで段落をつくっている。そして、どのセンテンスが、クレームであるかは形式的に見つけ出すことができる。1、相対的形容詞を含むか、助動詞(述語動詞に対して、話し手が判断などをくわえる)があるか、主観的な動詞がある。2必ず現在形である。3、従属節や副詞句でない部分(スケルトン)に論証責任がある(1、および2のようになっている)。
また、クレームが段落の先頭にあれば、法則から個別事例が導かれる演繹型、末尾にあれば、さまざまな例から一般事例を導く帰納型である。段落の途中にある場合は、まず対立する主張が述べられてこれに反論する形でクレームが出されるので、直前に必ずbutがある。
日本語には、もともとこのような意味での「論理」はなかったが、明治以降の言文一致運動の中で、「翻訳」というかたちで論理をとりいれた。しかし、冠詞がなく文法構造が根本的に異なる日本語では、論理を示す文法指標がすべて失われている。
したがって、現代文で「論理」をあつかうのは非常に難しい。
日本語は非論理的なのではなく「前論理的」なのであって、この日本語の特質こそ国の個性である。明治の日本人は論理を取り入れつつ、前論理的な特質を守った。論理は特殊英語的な発想であって、普遍妥当なものではないから、完全に論理的にしてしまうと日本語は破壊されてしまう。どんな風に論理を取り入れつつ、前論理性を守っていくかが今後とも課題だ。
以上、紹介終わり。
こんな風に書くと日米比較文化論のようだが(その面もあるが)、「高校生のための」とあるように、学参としての一面もある。論理構造を示す統語論的指標を見つける習慣をつけると難関大学の長文試験も簡単(内容を読まなくても)に解けるという。また、日本語の現代文を読むときにも役に立ちそうだ。現代文と呼ばれるような評論文は、根本的には英語的な発想で書かれているからだ。
古来の日本語を「体読」すべし。とか言っているのだが、日本語のよさとは何か、具体的にはどういう特質か、それを守るには今後どうしたらよいか、「論理」との折り合いをどうつけていくのか、というような考察がもう少しほしかった。
論理とは英語という言語(の運用習慣)に染みついているもので、日本語には本質的にはなじまない。しかし、翻訳文化の発達した日本では、日本語にある程度の論理性を取り込まざるをえなかった。それは、日本語(日本文化)を破壊するものでももあった。そして…、
以下、内容紹介(要約)。
英語では常に、明確に主張を述べなければならない。なるべく言わないで察してもらおうとする日本語とは根本的に違う。日本では、配られたプリントが足りないときに「足りません」と言うと、もう一枚もらえる。これが日本語の(察するという)心。英語では、足りないではなく、「もう一枚ください」と言わなければならない。これが英語の(ロジックという)心。
英語によるコミュニケーションは議論(ディベート)というかたちで行われる。要求なり判断なりを常に明確に主張(クレーム)しなければならず。クレームには論証責任がともなう。論証はデータとワラント(そのデータを用いる根拠)から成り立つ。
例:「UFOは実在する」 クレーム
「イチローが見たと言っている」 データ
「イチローは正直だ」 ワラント
対話相手は、データかワラントに対して反論しなければいけない。これは、「UFOは実在しない」とクレームに攻撃すると水掛け論になってしまうので、「イチローが見た」とか「イチローは正直だ」とかの根拠のほうを崩しにいかないと議論にならない、ということ。
論文は一人ディベートだから、クレーム・データ・ワラントのかたまりで段落をつくっている。そして、どのセンテンスが、クレームであるかは形式的に見つけ出すことができる。1、相対的形容詞を含むか、助動詞(述語動詞に対して、話し手が判断などをくわえる)があるか、主観的な動詞がある。2必ず現在形である。3、従属節や副詞句でない部分(スケルトン)に論証責任がある(1、および2のようになっている)。
また、クレームが段落の先頭にあれば、法則から個別事例が導かれる演繹型、末尾にあれば、さまざまな例から一般事例を導く帰納型である。段落の途中にある場合は、まず対立する主張が述べられてこれに反論する形でクレームが出されるので、直前に必ずbutがある。
日本語には、もともとこのような意味での「論理」はなかったが、明治以降の言文一致運動の中で、「翻訳」というかたちで論理をとりいれた。しかし、冠詞がなく文法構造が根本的に異なる日本語では、論理を示す文法指標がすべて失われている。
したがって、現代文で「論理」をあつかうのは非常に難しい。
日本語は非論理的なのではなく「前論理的」なのであって、この日本語の特質こそ国の個性である。明治の日本人は論理を取り入れつつ、前論理的な特質を守った。論理は特殊英語的な発想であって、普遍妥当なものではないから、完全に論理的にしてしまうと日本語は破壊されてしまう。どんな風に論理を取り入れつつ、前論理性を守っていくかが今後とも課題だ。
以上、紹介終わり。
こんな風に書くと日米比較文化論のようだが(その面もあるが)、「高校生のための」とあるように、学参としての一面もある。論理構造を示す統語論的指標を見つける習慣をつけると難関大学の長文試験も簡単(内容を読まなくても)に解けるという。また、日本語の現代文を読むときにも役に立ちそうだ。現代文と呼ばれるような評論文は、根本的には英語的な発想で書かれているからだ。
古来の日本語を「体読」すべし。とか言っているのだが、日本語のよさとは何か、具体的にはどういう特質か、それを守るには今後どうしたらよいか、「論理」との折り合いをどうつけていくのか、というような考察がもう少しほしかった。
2010年4月6日に日本でレビュー済み
評価おかしくないですか?みんな教え子ってだけの話ですか?
自身の経歴自慢、知識自慢が延々と続いて僕は燃やして捨てようかと思いました。おにづかちひろさんの歌詞に難癖付けたりだとか、自分の英語の能力の自慢だとか、なにが論理トレーニングなのかよくわかりません。とはいっても英文に対する解き方は一流なので星二つ、ただ筆者の人間性は二流、少林寺拳法とかどうでもいいし、金返せよ
自身の経歴自慢、知識自慢が延々と続いて僕は燃やして捨てようかと思いました。おにづかちひろさんの歌詞に難癖付けたりだとか、自分の英語の能力の自慢だとか、なにが論理トレーニングなのかよくわかりません。とはいっても英文に対する解き方は一流なので星二つ、ただ筆者の人間性は二流、少林寺拳法とかどうでもいいし、金返せよ
2015年12月29日に日本でレビュー済み
以前からロジカルシンキングや論理的思考力を身につけたいと考えていた。
しかしながら日本語というのはそもそも論理的思考に適していないということである。
無批判に考えてきたことを反省しつつ、考えるヒントにしていきたい。
しかしながら日本語というのはそもそも論理的思考に適していないということである。
無批判に考えてきたことを反省しつつ、考えるヒントにしていきたい。