本書の著者である清水博氏が提唱する「場の理論」とは、ひと言でいえば、生きものを「生命という活き(はたらき)」から見て、そこに共通する原理を探ろうとするもの。したがって、地球上の生命体が織りなすすべての活動を説明しうる、きわめて汎用性の高いものであり、事実「場の理論」は教育学、社会学、経済学、人類学、言語学、情報通信学などさまざまな学問分野で、その応用研究がなされている。
本書『場の思想』は、こうした清水氏の理論が最も体系的に述べられた本。その内容は、簡単に語りうるものではないので、「組織経営」と「経営理念」に関わる記述部分の抜き書きを通じて、そのエッセンスを紹介すると――。
「実践の論理は人々を動かす論理である。人々を動かすためには「情理を尽くす」といわれるように、パトスとロゴスの双方が必要となる。しかも…具体的な戦略が存在していなければ、どんな夢もユートピアに終わってしまう。…」
「実践の論理には、まず実現したい夢が必要である。夢を具体化しようと考え続けることから未来に関するイメージが次第に明確になり、やがて具体的な目的として共有できるようになる。夢のある明確な目標を共有し、それを実現するための舞台を想定することから変革のイメージが生まれ、そのイメージをビジョンにすることから戦略が生まれてくるのである。戦略が生まれてくるためには、イメージに具体的な形態を与えなければならない。この形態はパトスだけでも、またロゴスだけでも生まれない。パトスとロゴスを統合することによって生まれるのである。…」
「悟性(ロゴス)と感性(パトス)という質の異なる知性を統合して新しいイメージを作り出す創造的な知的能力、これが構想力である。…ここでいうパトスは個人的な感情(自己中心的なパトス)のことではない。それは場所的な感情(遍在的パトス、情感)のことである。人々がこの場所的感情を共有することが共感である。共感は舞台づくりの初めにどうしても必要になるものであり、人間が信頼感を確立する上で重要な働きをする」
「しかし、それだけではまだ異なった立場にいる人々が共に働くことはできない。共に働くことができなければ、多用な活きを一つのドラマとして統合することはできない。統合のためには、場の共有とその場におけるそれぞれの位置づけが必要である。人々が共に働くためには、それぞれの役割を発見して、統合的な見地から相互に調整しながら、それぞれの役割を決め、その役割に期待されている責任を果たすことが必要である」
上記は、組織とそこで働く人々がいきいきと活動を続けるためにはどうすればいいか、といったことを述べている部分にあたるが、これだけでは分かりづらいと思うので捕捉をすると、まず「場の理論」の前提には「生命の二重存在性」という考え方がある。つまり「生命」というのは、私たちが通常理解するところの「個物」として存在するばかりでなく、同時に「場」としても存在している、ということ。これを清水氏が唱える「自己の卵モデル」を使って説明すると――。(以下では「生命」一般を「人間」を例として説明する)
ボウルの中に3つの卵を割り入れる。すると、3つの黄身はそれぞれ独立した形で白身に浮かんだ状態になる。だが白身はそれぞれが混じり合ってボウルの中で一体化する。この状態で、黄身に相当する部分を「局在的生命」(=通常の理解でいうところの「個人」)、白身に相当する部分を「遍在的生命」(=通常の理解では存在しない「場」としての生命)と捉え、生きものには常にこの2種類の生命が同時に存在するとするのが「生命の二重存在性」。局在的生命は物質に強い結びつきをもった生命であり、遍在的生命は活き(はたらき)としての生命相互の繋がりと空間的な広がりを濃厚にもった生命という特徴をもつ。
上記の引用文では、ロゴスとパトスを融合させることの大切さが説かれているが、これを「自己の卵モデル」を使って説明すると、ロゴスの働きは黄身と黄身との関係によって、集団的なパトスの働きは白身の間に自己組織される状態によって表現される。
つまり、組織とそこで働く人々がいきいきと活動を続けるためには、そこで働く人々が「黄身としての私」ばかりでなく、「白身としての私(=場としての私)」の存在を常に意識しながら両者を統合するような形で場に働きかけていくことが何よりも大切だ、と清水氏は説く。
「日本は約一世紀に及ぶ長い戦国の戦乱を経て、仏教を基礎に普遍的な「場の文化」を生み出した経験をもつ世界でも特殊な国である。世界が場に注目をはじめているこの好機に、なぜ「場の文化」の創造というこの歴史的経験を現代に活かそうとせず、何時までも外に「正解」を求め続けていくのであろうか。重要なことは、広い世界を舞台にしたドラマをさまざまな国と共演することである。…」
「これからの日本にとって重要なことは、まず自分自身をよく見つめ、自己の存在を普遍的な論理によって表現することである。その上で、互いの違いを認め会うことによって、世界の多様な人々や生き物と共に一緒にドラマをする道を作り出すことである。絶望を乗り越える創造的精神をもたなければ、このとことは不可能なのである」
日本社会の危機とその克服に向けて場の思想的構想力を磨いていく――。清水氏の視線は、広く世界へ、そして遠く未来を担う世代へと注がれている。

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場の思想 単行本 – 2003/7/1
清水 博
(著)
- 本の長さ237ページ
- 言語日本語
- 出版社東京大学出版会
- 発売日2003/7/1
- ISBN-104130130218
- ISBN-13978-4130130219
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商品の説明
出版社からのコメント
生命システム科学の発想から生まれた,新しい時代の哲学
互いの違いを認める.共に生きる.そんな社会を,どうすれば作ることができるのか?日本のもつ「場」の思想が,社会と経済の「危機」を乗り越える原動 力となる.
【「まえがき」より】
互いの違いを認める.共に生きる.そんな社会を,どうすれば作ることができるのか?日本のもつ「場」の思想が,社会と経済の「危機」を乗り越える原動 力となる.
【「まえがき」より】
「新しい時代をリードする哲学が出現する までには,我々はまだ様々な経験と多くの苦しみの蓄積を必要とするであろう.しかし 現在でも,この閉塞した状況を乗り越える一つの思想を示すことはできると,私は確信 している.本書はこの思想を示すために書かれたものである.この思想は,生命の科学 を研究する過程で,私の内部に次第に形成されてきたものである」.
内容(「MARC」データベースより)
いま人類を救えるのは生命システム論から生まれた哲学だ。自己組織現象としての「場」、「自己の卵モデル」や「共創場的創出の即興劇モデル」など、主客非分離的に対象を理解しつつ、コミュニティ的な共存在のあり方を探る。
登録情報
- 出版社 : 東京大学出版会 (2003/7/1)
- 発売日 : 2003/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 237ページ
- ISBN-10 : 4130130218
- ISBN-13 : 978-4130130219
- Amazon 売れ筋ランキング: - 467,872位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,196位哲学 (本)
- - 4,097位思想
- - 43,375位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
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2012年9月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2003年に上梓された本書は、地球規模での共存共栄のミロクの世の実現が急務である現代に必要な智慧が凝縮された思想書です。
近代文明を乗り越え地球文明を創造する為の限りなく深い叡知が詰まっており、非常に示唆に富み大変勉強になりました。
内容が深く凝縮されていて難しい思想書ですが何度も繰り返し精読頂きたい良書です。
以下に清水先生のとても深い言葉・思想をテーマ別にご紹介します。
【現状と今後の転換・変態】
・20世紀の終わりには、「欲望への欲望」によって欲望を自己増幅させ、欲望を巨大化して人類を支配するメガマシーンが生まれた。それは地球を覆う欲望の自己組織システムである。現代文明とはグローバル化したマネーの流れが人間の生活を隅々まで支配し、隷属しているメガマシーンのことなのである。
・日本では社会の大きな転換期になると、生存への危機感から精神的「贅肉」が抜け落ちて、人々は生死の場に生きていることを自覚し始め、限りなく偏在的な生命(=純粋生命=火の鳥?)の活きに目を向ける。生命への危機感によって、出会いの場が社会に生まれ、その場において人と人が出会い、そこから社会的創造の活き(共創)を拡大させて行く。
【人間・宗教・藝術】
・人間は自己の外部と同様に、自己の内部にも知らない世界があることになかなか気がつかない。
・「救済者」とは、人間に働いてその価値観を主客分離的なものから主客非分離的なものに変えて、人間の自己中心的活動をコミュニティ的活動に変態させる超人間的生命のことである。
【出会いの場】
・人が人と出会うまでには、様々な経験を重ねながら無意識のうちに準備をしているのではないだろうか。そしてそのように準備をしている双方にとって最も相応しい時があり、その時が互いに一致して出会うのである。
・出会いの場づくりには、見えない舞台づくりのために自己を捧げて悔いない志の高さが必要である。出会いの場が用意されてこそ、異質の人々による共創が可能になるのである。明治維新にその場づくりの役を担ったのは坂本龍馬であった。
【これからの組織】
・これからの時代の組織の経営者が「善への感性」と「善を実行する勇気」を持っていなければ、精神的エネルギーを失って内部から崩壊する。今ほど日本の経営者(独立法人化した大学経営者も含む)が自己否定を通して創造的思考力を身につける必要があるときはないのである。
【純粋生命】
・ 破れた屋根から差し込む月の光を、純粋生命が送る大きな慈悲の表現と見て、自分に働きかけてくるこの純粋生命の活きに、精一杯答える慈悲の表現の創出こそが、不信の時代を人間の創造力によって越える原理である。
【挫折】
・人生の挫折は、もしもそれを素直に受け入れることができるなら、自分の心を縛ってきた様々な拘束を剥いで、剥き出しの真実を見せてくれる。
・大きな挫折感があってこそ、大きな創造の力が生まれるのである。この挫折から創造への反転は、自己の使命を深く掘り下げることによって生まれるのである。
【共創・創造・構想力】
・創造とは、自己の身体が開かれて全宇宙の智慧が活く動的な状態に置かれた時に、その身体が全宇宙の法則性である縁起の活きを実現して宇宙的な活動を創出することである。
・人と人との出会いに、純粋生命も出会う。そして、生と死の間の緊張関係を共有してともに創造的に生きていく瞬間瞬間を自覚する感動から互いの生命力が更に圧縮されて高揚した精神が生まれる。そして、その高揚した精神から爆発的な創造のエネルギーが生み出される。
【日本文化】
・日本文化の大切な特徴は、自然のたたずまい(自然の自己表現)が純粋生命を表現していると考えるところにある。
近代文明を乗り越え地球文明を創造する為の限りなく深い叡知が詰まっており、非常に示唆に富み大変勉強になりました。
内容が深く凝縮されていて難しい思想書ですが何度も繰り返し精読頂きたい良書です。
以下に清水先生のとても深い言葉・思想をテーマ別にご紹介します。
【現状と今後の転換・変態】
・20世紀の終わりには、「欲望への欲望」によって欲望を自己増幅させ、欲望を巨大化して人類を支配するメガマシーンが生まれた。それは地球を覆う欲望の自己組織システムである。現代文明とはグローバル化したマネーの流れが人間の生活を隅々まで支配し、隷属しているメガマシーンのことなのである。
・日本では社会の大きな転換期になると、生存への危機感から精神的「贅肉」が抜け落ちて、人々は生死の場に生きていることを自覚し始め、限りなく偏在的な生命(=純粋生命=火の鳥?)の活きに目を向ける。生命への危機感によって、出会いの場が社会に生まれ、その場において人と人が出会い、そこから社会的創造の活き(共創)を拡大させて行く。
【人間・宗教・藝術】
・人間は自己の外部と同様に、自己の内部にも知らない世界があることになかなか気がつかない。
・「救済者」とは、人間に働いてその価値観を主客分離的なものから主客非分離的なものに変えて、人間の自己中心的活動をコミュニティ的活動に変態させる超人間的生命のことである。
【出会いの場】
・人が人と出会うまでには、様々な経験を重ねながら無意識のうちに準備をしているのではないだろうか。そしてそのように準備をしている双方にとって最も相応しい時があり、その時が互いに一致して出会うのである。
・出会いの場づくりには、見えない舞台づくりのために自己を捧げて悔いない志の高さが必要である。出会いの場が用意されてこそ、異質の人々による共創が可能になるのである。明治維新にその場づくりの役を担ったのは坂本龍馬であった。
【これからの組織】
・これからの時代の組織の経営者が「善への感性」と「善を実行する勇気」を持っていなければ、精神的エネルギーを失って内部から崩壊する。今ほど日本の経営者(独立法人化した大学経営者も含む)が自己否定を通して創造的思考力を身につける必要があるときはないのである。
【純粋生命】
・ 破れた屋根から差し込む月の光を、純粋生命が送る大きな慈悲の表現と見て、自分に働きかけてくるこの純粋生命の活きに、精一杯答える慈悲の表現の創出こそが、不信の時代を人間の創造力によって越える原理である。
【挫折】
・人生の挫折は、もしもそれを素直に受け入れることができるなら、自分の心を縛ってきた様々な拘束を剥いで、剥き出しの真実を見せてくれる。
・大きな挫折感があってこそ、大きな創造の力が生まれるのである。この挫折から創造への反転は、自己の使命を深く掘り下げることによって生まれるのである。
【共創・創造・構想力】
・創造とは、自己の身体が開かれて全宇宙の智慧が活く動的な状態に置かれた時に、その身体が全宇宙の法則性である縁起の活きを実現して宇宙的な活動を創出することである。
・人と人との出会いに、純粋生命も出会う。そして、生と死の間の緊張関係を共有してともに創造的に生きていく瞬間瞬間を自覚する感動から互いの生命力が更に圧縮されて高揚した精神が生まれる。そして、その高揚した精神から爆発的な創造のエネルギーが生み出される。
【日本文化】
・日本文化の大切な特徴は、自然のたたずまい(自然の自己表現)が純粋生命を表現していると考えるところにある。
2017年5月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
法律に応用しようと考え購入した。これからあてはめと検証をしていきたい。
2008年5月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
清水の独創性は、生命を包含した社会システムに対して、西洋合理主義的な二項対立的−線形的秩序ではなく、東洋、殊に日本的なファジーさに満たされた「奥ゆかしい」非線形的秩序に言及してゆくところにある。
本書において、彼の論法は一気に熱を帯び、彼自身のこれまでの几帳面とも思える、実証を踏まえた上での高度な理論形成という方法論からはかけ離れた、言わばアクロバティックな展開となる。あながちそれが不備であるとは言えないのだが、いわゆる自然科学の側に身を置いた科学者からの唐突な翻身とも思えてしまうので一読者としては戸惑いも感ずるのではあるが…。
西洋合理主義的、二項対立的な截然とした秩序感覚は、言わば強制―作為的に詰め込まれたものである。
(「生命」なるものに満たされた)「自然」の感覚―「野生の思考」からすれば、「ゆらぎ」を介した散逸的な自己組織化プロセスこそが、人間を含めた生態系の本来のありようなのだと思う。これらを踏まえた上で、清水の議論をさらに追うと―それが日本の文化の深層に根付く「共生の論理」―「場の文化」と名付ける。そして、この国は歴史的に仏教を基礎に普遍的な「場の文化」を生み出した経験をもつ特異な文化を持つと主張する。
歴史をひもとけば、確かにそうした仏教や古神道を基礎とした「場の文化」―違いを認め合う思想に行き当たる。従って、わが国の歴史や文化を大切にするということは「共生の論理」にもとづく新しい文明を創造することにつながるという確信にまでつながる。
そこから彼は、深刻な袋小路のような事態にはまり込んでしまった現代社会の危機状況を打開し、新たな秩序を再構築するヒントを見出そうと言うのだ。
切羽詰った事態であるとは言え、可能性としてはまだまだ残された手立てを探ることができるはずだ。抽象論ではなく、実証を踏まえた具体的・実際的な方法論/方法を創出してゆくという働きかけのスタンスに期待したい。
本書において、彼の論法は一気に熱を帯び、彼自身のこれまでの几帳面とも思える、実証を踏まえた上での高度な理論形成という方法論からはかけ離れた、言わばアクロバティックな展開となる。あながちそれが不備であるとは言えないのだが、いわゆる自然科学の側に身を置いた科学者からの唐突な翻身とも思えてしまうので一読者としては戸惑いも感ずるのではあるが…。
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(「生命」なるものに満たされた)「自然」の感覚―「野生の思考」からすれば、「ゆらぎ」を介した散逸的な自己組織化プロセスこそが、人間を含めた生態系の本来のありようなのだと思う。これらを踏まえた上で、清水の議論をさらに追うと―それが日本の文化の深層に根付く「共生の論理」―「場の文化」と名付ける。そして、この国は歴史的に仏教を基礎に普遍的な「場の文化」を生み出した経験をもつ特異な文化を持つと主張する。
歴史をひもとけば、確かにそうした仏教や古神道を基礎とした「場の文化」―違いを認め合う思想に行き当たる。従って、わが国の歴史や文化を大切にするということは「共生の論理」にもとづく新しい文明を創造することにつながるという確信にまでつながる。
そこから彼は、深刻な袋小路のような事態にはまり込んでしまった現代社会の危機状況を打開し、新たな秩序を再構築するヒントを見出そうと言うのだ。
切羽詰った事態であるとは言え、可能性としてはまだまだ残された手立てを探ることができるはずだ。抽象論ではなく、実証を踏まえた具体的・実際的な方法論/方法を創出してゆくという働きかけのスタンスに期待したい。