明治維新という日本史上最大の革命は、実は革命後の青写真がないまま遂行された。
そのため明治政府の誕生後に、さまざまな矛盾が噴出する。この困難な時期をどう乗り越え、新生日本をどうやって作り上げていったのか。
この本は、明治時代をいったん歴史の流れから切り離し、明治という国家が独立してあったという想定のもとに、幕藩体制や身分制度を廃し
欧米先進国に追いつくことを目標に、多くの人が命がけで努力した、まさに国作りの物語である。
すべての日本人に読んでほしい良書だと思う。

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「明治」という国家〔上〕 (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 1994/1/1
司馬 遼太郎
(著)
- ISBN-104140016825
- ISBN-13978-4140016824
- 出版社NHK出版
- 発売日1994/1/1
- 言語日本語
- 本の長さ190ページ
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商品の説明
商品説明
明治維新は「革命」であったのか、薩長土肥連合による王政復古クーデターにすぎなかったのか。歴史家の間で意見の分かれるところである。本書で司馬は、幕藩体制の担い手だった武家階級が自らのハラキリによって「廃藩置県」を実現し、「国民国家」の土台を築いたことは、世界にも稀な革命であった、という明快な史観を展開してみせる。これほどの「政治的破壊作業」ができたのは、欧米列強のアジア進出に「日本人が共有していた危機意識のおかげ」だった。明治は「透きとおった、格調の高い精神でささえられたリアリズム」の時代で、そこに出現した「明治国家」は、江戸270年の精神遺産だった。司馬は江戸と明治の2つの時代に、脈々と流れる精神の連続性を見る。その具象として、小栗忠順、勝海舟、福沢諭吉、西郷隆盛、大久保利通ら多彩な群像を、科学者の透徹した目と小説家の豊かなイマジネーションで、鮮やかに浮かび上がらせる。「明治は多くの欠点をもちつつ、偉大としかいいようのない」時代だった。これに対して、戦後までの昭和は「イデオロギーが充満して国家や社会をふりまわした時代」で、まるで別国、別民族の観があると言う。しかし、この「非連続性」をもたらしたものが何であったか。残念ながら、司馬は語っていない。(伊藤延司)
内容(「MARC」データベースより)
明治は透きとおったリアリズムの時代であった。幕末から明治へ、新国家建設の時代と人間とを透徹した史観で描き出す。そして新国家草創の精神を巨細に語り、日本人のアイデンティティに迫る上下二巻。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (1994/1/1)
- 発売日 : 1994/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 190ページ
- ISBN-10 : 4140016825
- ISBN-13 : 978-4140016824
- Amazon 売れ筋ランキング: - 338,604位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年10月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
上下巻読みましたので、下巻の感想も含みます。司馬遼太郎の語りで構成されているので、小説やエッセイとまた違った趣があり、目の前でしゃべってくれているようです。大変読みやすい本です。その特性上、多少話題があっちこっちに飛ぶきらいもありますが、全体として明治国家を江戸からの流れでわかりやすく説明してくれています。また、明治憲法の成り立ちやその誤り、それが故に起きた太平洋戦争の悲劇についても論理的に語られています。おすすめです。
2003年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
江戸時代と明治時代のイメージは180度違うのではないでしょうか?私のイメージでは江戸時代は羽織袴にちょんまげ、明治時代は洋服にハット。外見だけでなく産業や生活習慣まで180度違う国に感じます。だからこそ明治時代でなく明治国家という本のタイトルに十分納得できます。その明治国家がどのように誕生したのかが語り調でわかりやすく書かれています。
2005年2月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
~さすがですね。司馬さんは。
江戸時代から明治という国家の、本質や骨格を非常に明確的確にしかも簡素に並んでいるので、大変勉強になりました。幕末から明治、特に大日本憲法発布や国会実現までは、時代の変化と人物の多さや組織や権力や人間関係が複雑で、分かりにくかったのですから。
これからは、岡崎久彦氏の歴史名作シリーズ「陸奥宗光とその時代」~~(PHP文庫)から「吉田茂」までの戦後の国際復帰までを読みたいと思います。~
江戸時代から明治という国家の、本質や骨格を非常に明確的確にしかも簡素に並んでいるので、大変勉強になりました。幕末から明治、特に大日本憲法発布や国会実現までは、時代の変化と人物の多さや組織や権力や人間関係が複雑で、分かりにくかったのですから。
これからは、岡崎久彦氏の歴史名作シリーズ「陸奥宗光とその時代」~~(PHP文庫)から「吉田茂」までの戦後の国際復帰までを読みたいと思います。~
2010年6月13日に日本でレビュー済み
大河ドラマの「龍馬伝」が人気だ。確かに「幕末」は役者が多い。
しかし明治を目前にした1867年、高杉晋作が亡くなり(27才)坂本龍馬が亡くなる(31才)。
明治元年は1868年であるが、その年と翌1869年は戊辰戦争、その後明治10年には西南戦争・・・と内戦が続く。
我が国最初の内閣が成立し初代総理に伊藤博文が就任したのは明治18年(1885年)である。
一般的にペリー黒船浦賀沖来航の1853年からを「幕末」・・というらしいが
まさに32年かけての”政権交代”である。
現代の日本の原型となる”新しい社会”がどのようにどのようにつくられてきたのか
当時の人間の生きざまを通して我々に示してくれる。
「人間とは何か 人間とはどう生きるべきか」・・・改めて考えさせられた。
しかし明治を目前にした1867年、高杉晋作が亡くなり(27才)坂本龍馬が亡くなる(31才)。
明治元年は1868年であるが、その年と翌1869年は戊辰戦争、その後明治10年には西南戦争・・・と内戦が続く。
我が国最初の内閣が成立し初代総理に伊藤博文が就任したのは明治18年(1885年)である。
一般的にペリー黒船浦賀沖来航の1853年からを「幕末」・・というらしいが
まさに32年かけての”政権交代”である。
現代の日本の原型となる”新しい社会”がどのようにどのようにつくられてきたのか
当時の人間の生きざまを通して我々に示してくれる。
「人間とは何か 人間とはどう生きるべきか」・・・改めて考えさせられた。
2010年10月23日に日本でレビュー済み
いつの頃からか、日本人は「明治維新」という出来事をドグマとして受け入れてはないだろうか。
日本と言う封建制国家を近代国家に変えた革命としての「明治維新」は、必要性があり、近代日本の礎でもあり、それに伴う、多少の犠牲は致し方がないと我々は考えてきたのではないだろうか。確かに、当時の政治状況において、日本の近代化が必要とされたというのは、間違いのない事実である。しかし、必ずしも、「明治維新」という形態をとる必要性があったかと言えば、そうではないのではないか。
幕府にしても、近代化への計画が無かったわけでは無く、薩長土肥という封建制に立脚したいくつかの藩(長州に関して必ずしも当たらない)と、それに資金を供給したいくつかの商人達が、幕府以上のビジョンと実行力を備えていたというのは、絶対の事実として捉えなければならないものであるのだろうか。
しかしながら、「明治維新」とそれにより成立した「明治国家」は、これまで、手放しで、賞賛されてきたのではないか。私は、「明治国家」が日本に大きな貢献をしたことを、理解しているつもりである。しかし、そうであるならば、その否定的側面も積極的に歴史的評価の一つとして、取り入れていくべきではないだろうか。「明治国家」というものを相対化して初めて、その位置付けと、これからの日本の展望が開けてくるのではないだろうか。
これまで、前置きを長々と書いてきたのは、この「明治」という国家にも同じことが言えると感じたためである。
この本において、語られる「明治国家」は多数の資料に当たり、日本の歴史を研究してきた司馬遼太郎氏の集大成でもある。そして、それは、一つの文化と伝統の生命の輝きとでもいえるものであり、すばらしいものである。しかし、すばらしい正義の裏側には、同じ程度の悪徳も潜んでいるものである。
例えば、司馬氏は、明治と昭和をまったく別の存在であると見做しているようである。確かに、司馬氏のように、「明治国家」、「昭和国家」という個体、つまり、一つの目に見える物体のように時代を取り扱う見方からすれば、そのような考えは当然であるだろう。
しかし、そのような見方が存在するのと同じように、歴史を連続した形で捉える考え方も当然存在する。そのような見方からすれば、「昭和」という国家は「明治」という国家の結果として存在と言うことになるだろう。
もし、「明治国家」について、ある程度、相対化した意見を得たいと望むのならば、明治は、結果としての昭和の責任も負わなければならないであろう。そして、その事実には、どのような美しい形容詞でも消せない事実が含まれているかも知れないのである。
「明治維新」が終わって、もう140年以上が経過した。そろそろ、冷静に「明治国家」を捉えなおす時期ではないだろうか。その意味において、本書は参考となるだろう。また、明治をより深く理解したいのであれば、大沸次郎「天皇の世紀」、猪瀬直樹「ミカドの肖像」などもお勧めしたい。
日本と言う封建制国家を近代国家に変えた革命としての「明治維新」は、必要性があり、近代日本の礎でもあり、それに伴う、多少の犠牲は致し方がないと我々は考えてきたのではないだろうか。確かに、当時の政治状況において、日本の近代化が必要とされたというのは、間違いのない事実である。しかし、必ずしも、「明治維新」という形態をとる必要性があったかと言えば、そうではないのではないか。
幕府にしても、近代化への計画が無かったわけでは無く、薩長土肥という封建制に立脚したいくつかの藩(長州に関して必ずしも当たらない)と、それに資金を供給したいくつかの商人達が、幕府以上のビジョンと実行力を備えていたというのは、絶対の事実として捉えなければならないものであるのだろうか。
しかしながら、「明治維新」とそれにより成立した「明治国家」は、これまで、手放しで、賞賛されてきたのではないか。私は、「明治国家」が日本に大きな貢献をしたことを、理解しているつもりである。しかし、そうであるならば、その否定的側面も積極的に歴史的評価の一つとして、取り入れていくべきではないだろうか。「明治国家」というものを相対化して初めて、その位置付けと、これからの日本の展望が開けてくるのではないだろうか。
これまで、前置きを長々と書いてきたのは、この「明治」という国家にも同じことが言えると感じたためである。
この本において、語られる「明治国家」は多数の資料に当たり、日本の歴史を研究してきた司馬遼太郎氏の集大成でもある。そして、それは、一つの文化と伝統の生命の輝きとでもいえるものであり、すばらしいものである。しかし、すばらしい正義の裏側には、同じ程度の悪徳も潜んでいるものである。
例えば、司馬氏は、明治と昭和をまったく別の存在であると見做しているようである。確かに、司馬氏のように、「明治国家」、「昭和国家」という個体、つまり、一つの目に見える物体のように時代を取り扱う見方からすれば、そのような考えは当然であるだろう。
しかし、そのような見方が存在するのと同じように、歴史を連続した形で捉える考え方も当然存在する。そのような見方からすれば、「昭和」という国家は「明治」という国家の結果として存在と言うことになるだろう。
もし、「明治国家」について、ある程度、相対化した意見を得たいと望むのならば、明治は、結果としての昭和の責任も負わなければならないであろう。そして、その事実には、どのような美しい形容詞でも消せない事実が含まれているかも知れないのである。
「明治維新」が終わって、もう140年以上が経過した。そろそろ、冷静に「明治国家」を捉えなおす時期ではないだろうか。その意味において、本書は参考となるだろう。また、明治をより深く理解したいのであれば、大沸次郎「天皇の世紀」、猪瀬直樹「ミカドの肖像」などもお勧めしたい。
2006年12月15日に日本でレビュー済み
グローバル化という不可逆的な潮流のなかで、日本はビジョンもないままそれを受け入れ、いまや構造改革という正義の仮面をかぶった日本あるいは日本的なるものの解体が進められている。そんな気持ちを抱いている方も少なくないのではなかろうか。この本が発行されたのは今から18年前であった。明治維新、明治という国家、そして、日本という国をどうとらえるかということについて目から鱗のような本だった。自分なりの日本観を形成する上で最良の書となった。司馬さんは「江戸期という別の体系の文明から明治という国家の成立は知的な意味で世界史的な事件であり、人類の資産のひとつである」という。夢中になって読んだ。日本という国を考える上でこれほど影響を受けた本はそんなにない。バブル経済が崩壊し、方向性を失ったかに見え、混迷している日本のこれからのビジョンを考える上でも最良の書と思われる。私自身、18年ぶりに再読し、それを実感する。司馬さんは「左右を問わずこの世には正義の体系としての政治イデオロギーは存在しない」と言われる。若い頃の一時期社会主義に傾倒していた私はこの本を読んで自分がつねに抱えていた疑念を払拭されたように感じたものだ。司馬さんは「明治はリアリアズムの時代だった。それも透き通った格調の高いでささえられたリアリズムだった。戦争に負けるまでの日本は、このリアリズムがなかった。左右の正義の体系としてのイデオロギーが充満し、国家を振り回していた時代だった」としている。明治維新は決して遠い昔のことではない。たった140年前のことだ。私が生まれた時点からはたった80年前のことである。平成維新という言葉があるが、日本はいままさにそうした変革が必要とされている時期である。日本は変わらなければいけない時期に来ているが、そのビジョンを考える上で政治家も我々庶民もこの本が教えてくれることが多いと思う。
2005年1月11日に日本でレビュー済み
幕末から明治初期そして明治憲法制定までの時期をさまざまなテーマ,エピソードで綴ったエッセイ集.国民や国家という概念が全くなかった江戸時代から,そういったものを創出・具現化させ,どうやって成立させていったのかという大テーマの下に各エッセイが書かれている.それぞれのエッセイがバラバラに書かれているのではない点が単なるエッセイ集と一線を画するところ.
徳川慶喜,勝海舟,坂本竜馬,大久保利通,西郷隆盛,桂小五郎,伊藤博文,東郷平八郎,西園寺公望といった有名どころだけでなく,小栗忠順,副島種臣,津田出など,ややマイナーだが立派だった人にも暖かい視線を送り,政治家ではない福沢諭吉や新島襄も取り上げている.明治維新という革命を通り抜けた日本や日本人を,国家・国民という視点からこれだけ多面的に書かれているのが素晴らしい.また特筆すべきは著者の文体というか説明のしかた.著者自身も言っているように,仮に外国人に説明しても理解できるように噛み砕いて書かれている.高校生,中学生でも十二分に理解できるレベルでこれだけの内容が書かれているのは他書に類をみない.
徳川慶喜,勝海舟,坂本竜馬,大久保利通,西郷隆盛,桂小五郎,伊藤博文,東郷平八郎,西園寺公望といった有名どころだけでなく,小栗忠順,副島種臣,津田出など,ややマイナーだが立派だった人にも暖かい視線を送り,政治家ではない福沢諭吉や新島襄も取り上げている.明治維新という革命を通り抜けた日本や日本人を,国家・国民という視点からこれだけ多面的に書かれているのが素晴らしい.また特筆すべきは著者の文体というか説明のしかた.著者自身も言っているように,仮に外国人に説明しても理解できるように噛み砕いて書かれている.高校生,中学生でも十二分に理解できるレベルでこれだけの内容が書かれているのは他書に類をみない.