野良犬ヤマショウが天皇陛下のご尊顔を拝し飼い犬になり、戦後に犬から抜け出ようとした時に人生が終わる。
ヤマショウの人生はずっとどん底だったが故に軍隊が天国であり、軍の頭である天皇陛下に惚れ込めて幸せだった。何より軍隊においてヤマショウは人にも恵まれていた。
同期や上官に可愛がられ初年兵にもわりあい懐かれ、陛下の支える傘の下の軍隊にいる事が快絶だったであろう。
そんなヤマショウは戦後に居場所がない。
唯一同期の棟本のそばだけが居場所であり、鶏の徴発で怒られようともすぐにキャンキャン鳴きながら懐いてくる。
だがそんな時間の流れの中で他人(主に女)にも目が向くようになり、飼い犬ではない生き方・陛下の傘の外の生き方を考えるようになる。
一度目は失敗、そして二度目には成功して所帯を持ち自分の人生を生きる事を選んだ時に、ある意味では運命に殺される。
そこから先は陛下の犬ではないから。
陛下の赤子ではなくなるから。
なんて見方もしようと思えば出来ますw
天皇陛下に掛かるシーンで流れるBGMがわりと可愛い感じのBGMだったのってそういう事かな・・とか、考えちゃいますね。
この見方をすると続編では犬が犬を飼う話になります。
ヤマショウ、とてもかわいい男だと思ってます。
拝啓天皇陛下様 [DVD]
フォーマット | 色, ワイドスクリーン, ドルビー |
コントリビュータ | 野村芳太郎, 渥美清, 中村メイ子, 左幸子, 長門裕之, 多賀祥介, 山下清 |
言語 | 日本語 |
稼働時間 | 1 時間 40 分 |
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
Amazonより
幼い頃に両親を亡くし、世間の厳しい風にさらされてきた山田正助(渥美清)にとって、三度三度のおまんまをいただける軍隊は、どんなに上官から殴られたりひどい仕打ちを受けようとも天国そのものであった。やがて戦争が終わるとの噂が立ち、いつまでも天国にいたい彼は、大好きな天皇陛下に手紙を書き、不敬罪寸前となる。日中戦争から太平洋戦争となり、正助も戦場に駆り出されるが、やがて終戦を迎え…。ユーモアとペーソスの中からそこはかとなく軍隊批判を醸し出す名匠・野村芳太郎監督の傑作戦争喜劇。何よりまず渥美清の個性と芸があって成立している作品でもあり、ここでのどん臭いが憎めない人物像を演じさせたら、彼の右に出る者はいないといっても過言ではないだろう。(増當竜也)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 日本語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4988105049581
- 監督 : 野村芳太郎
- メディア形式 : 色, ワイドスクリーン, ドルビー
- 時間 : 1 時間 40 分
- 発売日 : 2006/7/29
- 出演 : 渥美清, 長門裕之, 中村メイ子, 左幸子, 山下清
- 販売元 : 松竹ホームビデオ
- ASIN : B000FZDL9W
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 234,949位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中4.6つ
5つのうち4.6つ
12グローバルレーティング
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年2月10日に日本でレビュー済み
戦争。喜劇。人間ドラマ。
ヤマショー(渥美清)とムネさん(長門裕之)の友情を軸に物語が進んでいく。
岡山の入隊先では、津川雅彦の兄である長門裕之や、黄門様の西村晃など、なつかしい面々が見られてうれしい。本物の山下清も出演していて驚かされた。
その中でもやはり東西の人気コメディアン渥美清と藤山寛美の共演は、まさに息があったコントであり、大いに笑わせてもらった。
ヤマショーとムネさんは戦争だったりケンカだったりで何度も別れるのだが、ふとした縁でまた出会う。
いつもふらふらしていたり、女性に片思いするがふられてしまったりと、どことなく寅さんを思い出させるヤマショーは、ダメ人間ながらもどこか憎めない存在である。
劇的なラストもふくめ、笑いあり涙ありの人間ドラマで楽しめた。
ヤマショー(渥美清)とムネさん(長門裕之)の友情を軸に物語が進んでいく。
岡山の入隊先では、津川雅彦の兄である長門裕之や、黄門様の西村晃など、なつかしい面々が見られてうれしい。本物の山下清も出演していて驚かされた。
その中でもやはり東西の人気コメディアン渥美清と藤山寛美の共演は、まさに息があったコントであり、大いに笑わせてもらった。
ヤマショーとムネさんは戦争だったりケンカだったりで何度も別れるのだが、ふとした縁でまた出会う。
いつもふらふらしていたり、女性に片思いするがふられてしまったりと、どことなく寅さんを思い出させるヤマショーは、ダメ人間ながらもどこか憎めない存在である。
劇的なラストもふくめ、笑いあり涙ありの人間ドラマで楽しめた。
2019年1月13日に日本でレビュー済み
素晴らしい作品だった。
一人の男の人生を、渥美清さん主演でちょっとだけ哀しくも楽しく描いている。
前半(時間的にはもっとあったかも?)では太平洋戦争時点の軍隊生活を描きながらも、現代のサラリーマンの世界にも通ずる様々な厳しい人間模様を表現しているのが、ただただ驚き。
そこを渥美清さんの愛嬌ある演技がサラッとコメディに仕立てているので、二重に驚きだった。
軍隊から除隊したあとの生活の描写も良かったね。
僕は寅さんシリーズをまともに観たことがなかったけど、この作品を観て、観たいと思ったね!
一人の男の人生を、渥美清さん主演でちょっとだけ哀しくも楽しく描いている。
前半(時間的にはもっとあったかも?)では太平洋戦争時点の軍隊生活を描きながらも、現代のサラリーマンの世界にも通ずる様々な厳しい人間模様を表現しているのが、ただただ驚き。
そこを渥美清さんの愛嬌ある演技がサラッとコメディに仕立てているので、二重に驚きだった。
軍隊から除隊したあとの生活の描写も良かったね。
僕は寅さんシリーズをまともに観たことがなかったけど、この作品を観て、観たいと思ったね!
2011年8月15日に日本でレビュー済み
渥美清演じる、粗野で不器用だけど純粋な好人物を通して、昭和初期の庶民の軍隊体験を描く泣かせるコメディー。この映画のテーマは、天皇礼賛でも反戦でもなく大正生まれの戦争に翻弄された世代へのレクイエムだ。
また、徴兵制を知らない世代の私から見ると、徴兵制下の軍隊生活や軍事訓練、平時(昭和6年)と戦時(昭和12年)との違い、中国大陸に送られる一般兵士の心情等を知ることができてとてもためになった。
また、徴兵制を知らない世代の私から見ると、徴兵制下の軍隊生活や軍事訓練、平時(昭和6年)と戦時(昭和12年)との違い、中国大陸に送られる一般兵士の心情等を知ることができてとてもためになった。
2012年12月16日に日本でレビュー済み
昭和6年から昭和25年前後までの、二人の男の友情を描いたお話。
時代の流れ上戦争が絡んでは来ますが、そこにはうっとおしい思想や哲学的なものなど入り込んで来ません。
ただただ『飯が食えりゃ幸せ』という人間の大前提である明るさが描かれています。
なんと清々しく、そして力強いコメディでしょうか。
力強いコメディっていうのは観てて気持ちが良いです。
作家としての長門裕之に書かせたと思われる一連の画面に踊る文章。
ラストの一部は、渥美清の想いを長門裕之が書く、という友情の昇華に思われ、構成としても素晴らしい出来映えです。
時代の流れ上戦争が絡んでは来ますが、そこにはうっとおしい思想や哲学的なものなど入り込んで来ません。
ただただ『飯が食えりゃ幸せ』という人間の大前提である明るさが描かれています。
なんと清々しく、そして力強いコメディでしょうか。
力強いコメディっていうのは観てて気持ちが良いです。
作家としての長門裕之に書かせたと思われる一連の画面に踊る文章。
ラストの一部は、渥美清の想いを長門裕之が書く、という友情の昇華に思われ、構成としても素晴らしい出来映えです。
2013年8月13日に日本でレビュー済み
学も身寄りもない純朴な男、ヤマショウが昭和6年に軍隊に入隊。三度の飯が食える軍隊に満足していた彼は演習で見た実物の天皇陛下に親しみと尊敬を持つようになる。
昭和6年から25年までのヤマショウとその親友を追っていくストーリー。軍隊生活にすっかり適応し天皇を心の底から愛する男の軍隊生活をコミカルに描いていくが、それは逆にいうと軍隊じゃない生活に適応できないことでもある。自分だけ再び軍隊に行きたいと天皇に直訴の手紙を出そうとするのだからすごい。自ら当時の戦争色に染まりきる男は滑稽でどこか痛々しい。
終戦後はなかなか幸せになれない。いい人なんだけど何か社会に適応しきれない。色々面倒くさいんだけどなんか放っておけない変なやつ。ここから寅さんが生まれたんだなぁと思う。
昭和6年から25年までのヤマショウとその親友を追っていくストーリー。軍隊生活にすっかり適応し天皇を心の底から愛する男の軍隊生活をコミカルに描いていくが、それは逆にいうと軍隊じゃない生活に適応できないことでもある。自分だけ再び軍隊に行きたいと天皇に直訴の手紙を出そうとするのだからすごい。自ら当時の戦争色に染まりきる男は滑稽でどこか痛々しい。
終戦後はなかなか幸せになれない。いい人なんだけど何か社会に適応しきれない。色々面倒くさいんだけどなんか放っておけない変なやつ。ここから寅さんが生まれたんだなぁと思う。
2012年5月21日に日本でレビュー済み
野村芳太郎監督の喜劇(1963年)。
渥美清は1950年代末から映画・テレビに出演をし始めていたが、この作品で好演したことで、コメディアンとしての地位を確立した。「拝啓天皇陛下様」は渥美清にとって「寅さん」以前の代表作であり、一度目のピークを記録した作品として、彼の芸歴の中でも重要な作品と思う。
この後は映画出演作はやや低調、テレビの「泣いてたまるか」(1966‾68)や「(TV版)男はつらいよ」(1968‾69)が好評で、1969年の映画「男はつらいよ」につながり再ブレイクする。
今の時代からみれば、渥美清=寅さんのイメージが強いが、この頃はもっと幅広い役柄をこなす可能性があったことがわかる。まだ若く、後年のようなペーソスは弱いが、荒削りで勢いのある演技が見られる。主人公の演じ方を見ると、テレビの「泣いてたまるか」に近いような感じだ。
映画「男はつらいよ」のルーツを考えると、この「拝啓天皇陛下様」と山田洋次+ハナ肇の「馬鹿」シリーズがあり、この二つが複合して「寅さん」が生まれたのかも知れない。
物語は第二次大戦前から始まる。貧しい青年が徴兵で軍隊に入隊する。庶民から見たの軍隊生活、さらにその後、戦後に至るまでの生活が綴られる。当時のごく素朴な庶民が当時どのように軍隊に関わり、生きていったか、貴重な描写だと思う。
しかしながらこの映画は、戦前・戦中・戦後と激動の時代の中、辛い目にあいながらも逞しく、友情に助けられながら生きていった一人の庶民−エリートでもインテリでない、むしろ粗野な人物−の姿を美化することなく丹念に描写していったことだろう。「喜劇」だが、その枠を超えた一人の人間のドラマになっている。
渥美清の庶民性、なんとも言えないおかしみを持った雰囲気も、観ている側の共感を呼んだのではないか。題材の良さ、ストーリーの身近さ、そして渥美清の庶民的な演技が一緒になった佳作だと思う。
渥美清は1950年代末から映画・テレビに出演をし始めていたが、この作品で好演したことで、コメディアンとしての地位を確立した。「拝啓天皇陛下様」は渥美清にとって「寅さん」以前の代表作であり、一度目のピークを記録した作品として、彼の芸歴の中でも重要な作品と思う。
この後は映画出演作はやや低調、テレビの「泣いてたまるか」(1966‾68)や「(TV版)男はつらいよ」(1968‾69)が好評で、1969年の映画「男はつらいよ」につながり再ブレイクする。
今の時代からみれば、渥美清=寅さんのイメージが強いが、この頃はもっと幅広い役柄をこなす可能性があったことがわかる。まだ若く、後年のようなペーソスは弱いが、荒削りで勢いのある演技が見られる。主人公の演じ方を見ると、テレビの「泣いてたまるか」に近いような感じだ。
映画「男はつらいよ」のルーツを考えると、この「拝啓天皇陛下様」と山田洋次+ハナ肇の「馬鹿」シリーズがあり、この二つが複合して「寅さん」が生まれたのかも知れない。
物語は第二次大戦前から始まる。貧しい青年が徴兵で軍隊に入隊する。庶民から見たの軍隊生活、さらにその後、戦後に至るまでの生活が綴られる。当時のごく素朴な庶民が当時どのように軍隊に関わり、生きていったか、貴重な描写だと思う。
しかしながらこの映画は、戦前・戦中・戦後と激動の時代の中、辛い目にあいながらも逞しく、友情に助けられながら生きていった一人の庶民−エリートでもインテリでない、むしろ粗野な人物−の姿を美化することなく丹念に描写していったことだろう。「喜劇」だが、その枠を超えた一人の人間のドラマになっている。
渥美清の庶民性、なんとも言えないおかしみを持った雰囲気も、観ている側の共感を呼んだのではないか。題材の良さ、ストーリーの身近さ、そして渥美清の庶民的な演技が一緒になった佳作だと思う。
2012年11月20日に日本でレビュー済み
作り手にも観客にも従軍経験者が多かったこの時代の大衆作品が描く戦争の描写では、戦後生まれが「お勉強」して作っても絶対に描けないリアルなものがふと顔を出すものだ。本作では薄汚れた売春街の淡々とした描写、闇市商売のリーダーが中国人であること等にそういうものが感じられるが、そういう感性も含めて、ポツダム宣言後も「戦中」をずっと引きずって雑草のように生きた世代の姿と感性の生々しさが伝わってくる一本だ。
教練中のシーンやラストでのナレーションにで出てくる「赤子(せきし)」とは「赤ん坊」を意味する言葉で、孟子の中では「(高徳者が持ちづつける)赤ん坊のように純粋な心」、「(徳のある君主が常に心にかける)素朴な民衆の心」といった、素朴で純真な心の在り方を表す際に好んで使われる言葉である。前者に主人公の純朴な生き様が、後者にタイトルへと共鳴していく戦中派の複雑な想いが込められている言葉遣いだと思う。あくまで控え目に使われるこのダブル・ミーニングには、戦後わざとらしく花開いた声高で薄っぺらい反戦メッセージのような説教臭さはなく、寧ろこの作品をあくまで人情喜劇として表現した作り手達の寡黙な品格すら感じさせられる。かつての日本映画にあった「重喜劇」の味わいが渋く光る一品だ。豪華な役者陣の素晴らしい演技も見どころだが、その辺は他のレビュアーの皆さんに譲ります。
教練中のシーンやラストでのナレーションにで出てくる「赤子(せきし)」とは「赤ん坊」を意味する言葉で、孟子の中では「(高徳者が持ちづつける)赤ん坊のように純粋な心」、「(徳のある君主が常に心にかける)素朴な民衆の心」といった、素朴で純真な心の在り方を表す際に好んで使われる言葉である。前者に主人公の純朴な生き様が、後者にタイトルへと共鳴していく戦中派の複雑な想いが込められている言葉遣いだと思う。あくまで控え目に使われるこのダブル・ミーニングには、戦後わざとらしく花開いた声高で薄っぺらい反戦メッセージのような説教臭さはなく、寧ろこの作品をあくまで人情喜劇として表現した作り手達の寡黙な品格すら感じさせられる。かつての日本映画にあった「重喜劇」の味わいが渋く光る一品だ。豪華な役者陣の素晴らしい演技も見どころだが、その辺は他のレビュアーの皆さんに譲ります。