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キリストの誕生 (新潮文庫) 文庫 – 1982/12/28
遠藤 周作
(著)
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「神の沈黙」の意味を深く問う名著。
犬のように無力だった男は、いかにしてキリストと呼ばれるようになり、
人間の永遠の同伴者となったのか。
読売文学賞受賞。
愛だけを語り、愛だけに生き、十字架上でみじめに死んでいったイエス。
だが彼は、死後、弱き弟子たちを信念の使徒に変え、
人々から“神の子"“救い主(キリスト)"と呼ばれ始める。何故か?
――無力に死んだイエスが“キリスト"として生き始める足跡を追いかけ、
残された人々の心の痕跡をさぐり、人間の魂の深奥のドラマを明らかにする。
名作『イエスの生涯』に続く遠藤文学の根幹をなす作品。
目次
第一章 イエスの死
第二章 辛い、長い、夜
第三章 ガリラヤからエルサレムへ
第四章 弾圧事件と最初の分裂
第五章 強きステファノ、弱きペトロ
第六章 律法という厚い壁
第七章 第二の迫害
第八章 弟子たちとポーロのちがい
第九章 第二の分裂
第十章 すべての路はローマに……
第十一章 ペトロの死、ポーロの死
第十二章 沈黙の神、再臨せざるキリスト
第十三章 イエスのふしぎさ、ふしぎなイエス
あとがき
解説 高橋たか子
遠藤周作
(1923-1996)東京生まれ。幼年期を旧満州大連で過ごす。神戸に帰国後、12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て1955年「白い人」で芥川賞を受賞。結核を患い何度も手術を受けながらも、旺盛な執筆活動を続けた。一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品や歴史小説、戯曲、映画脚本、〈狐狸庵もの〉と称されるエッセイなど作品世界は多岐にわたる。『海と毒薬』(新潮社文学賞/毎日出版文化賞)『わたしが・棄てた・女』『沈黙』(谷崎潤一郎賞)『死海のほとり』『イエスの生涯』『キリストの誕生』(読売文学賞)『侍』(野間文芸賞)『女の一生』『スキャンダル』『深い河(ディープ・リバー)』(毎日芸術賞)『夫婦の一日』等。1995年には文化勲章を受章した。
犬のように無力だった男は、いかにしてキリストと呼ばれるようになり、
人間の永遠の同伴者となったのか。
読売文学賞受賞。
愛だけを語り、愛だけに生き、十字架上でみじめに死んでいったイエス。
だが彼は、死後、弱き弟子たちを信念の使徒に変え、
人々から“神の子"“救い主(キリスト)"と呼ばれ始める。何故か?
――無力に死んだイエスが“キリスト"として生き始める足跡を追いかけ、
残された人々の心の痕跡をさぐり、人間の魂の深奥のドラマを明らかにする。
名作『イエスの生涯』に続く遠藤文学の根幹をなす作品。
目次
第一章 イエスの死
第二章 辛い、長い、夜
第三章 ガリラヤからエルサレムへ
第四章 弾圧事件と最初の分裂
第五章 強きステファノ、弱きペトロ
第六章 律法という厚い壁
第七章 第二の迫害
第八章 弟子たちとポーロのちがい
第九章 第二の分裂
第十章 すべての路はローマに……
第十一章 ペトロの死、ポーロの死
第十二章 沈黙の神、再臨せざるキリスト
第十三章 イエスのふしぎさ、ふしぎなイエス
あとがき
解説 高橋たか子
遠藤周作
(1923-1996)東京生まれ。幼年期を旧満州大連で過ごす。神戸に帰国後、12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て1955年「白い人」で芥川賞を受賞。結核を患い何度も手術を受けながらも、旺盛な執筆活動を続けた。一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品や歴史小説、戯曲、映画脚本、〈狐狸庵もの〉と称されるエッセイなど作品世界は多岐にわたる。『海と毒薬』(新潮社文学賞/毎日出版文化賞)『わたしが・棄てた・女』『沈黙』(谷崎潤一郎賞)『死海のほとり』『イエスの生涯』『キリストの誕生』(読売文学賞)『侍』(野間文芸賞)『女の一生』『スキャンダル』『深い河(ディープ・リバー)』(毎日芸術賞)『夫婦の一日』等。1995年には文化勲章を受章した。
- ISBN-104101123179
- ISBN-13978-4101123172
- 版改
- 出版社新潮社
- 発売日1982/12/28
- 言語日本語
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- 本の長さ304ページ
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出版社より
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白い人・黄色い人 | 海と毒薬 | 留学 | 母なるもの | 彼の生きかた | 砂の城 | |
カスタマーレビュー |
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価格 | ¥572¥572 | ¥407¥407 | ¥649¥649 | ¥649¥649 | ¥880¥880 | ¥693¥693 |
【新潮文庫】遠藤周作 作品 | ナチ拷問に焦点をあて、存在の根源に神を求める意志の必然性を探る「白い人」、神をもたない日本人の精神的悲惨を追う「黄色い人」。〈芥川賞〉 | 何が彼らをこのような残虐行為に駆りたてたのか?終戦時の大学病院の生体解剖事件を小説化し、日本人の罪悪感を追求した問題作。〈毎日出版文化賞・新潮社文学賞〉 | 時代を異にして留学した三人の学生が、ヨーロッパ文明の壁に挑みながらも精神的風土の絶対的相違によって挫折してゆく姿を描く。 | やさしく許す”母なるもの”を宗教の中に求める日本人の精神の志向と、作者自身の母性への憧憬とを重ねあわせてつづった作品集。 | 吃るため人とうまく接することが出来ず、人間よりも動物を愛し、日本猿の餌づけに一身を捧げる男の純朴でひたむきな生き方を描く。 | 過激派集団に入った西も、詐欺漢に身を捧げたトシも真実を求めて生きようとしたのだ。ひたむきに生きた若者たちの青春群像を描く。 |
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悲しみの歌 | 沈黙 | イエスの生涯 | キリストの誕生 | 死海のほとり | 王国への道―山田長政― | |
カスタマーレビュー |
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価格 | ¥737¥737 | ¥693¥693 | ¥605¥605 | ¥737¥737 | ¥880¥880 | ¥737¥737 |
戦犯の過去を持つ開業医、無類のお人好しの外人……大都会新宿で輪舞のようにからみ合う人々を通し人間の弱さと悲しみを見つめる。 | 殉教を遂げるキリシタン信徒と棄教を迫られるポルトガル司祭。神の存在、背教の心理、東洋と西洋の思想的断絶等を追求した問題作。〈谷崎潤一郎賞〉 | 青年大工イエスはなぜ十字架上で殺されなければならなかったのか──。あらゆる「イエス伝」をふまえて、その〈生〉の真実を刻む。〈国際ダグ・ハマーショルド賞〉 | 十字架上で無力に死んだイエスは死後”救い主”と呼ばれ始める……。残された人々の心の痕跡を探り、人間の魂の深奥のドラマを描く。〈読売文学賞〉 | 信仰につまずき、キリストを棄てようとした男──彼は真実のイエスを求め、死海のほとりにその足跡を追う。愛と信仰の原点を探る。 | シャム(タイ)の古都で暗躍した山田長政と、切支丹の冒険家・ペドロ岐部――二人の生き方を通して、日本人とは何かを探る長編。 |
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真昼の悪魔 | 王妃マリー・アントワネット〔上〕 | 王妃マリー・アントワネット〔下〕 | 女の一生 一部・キクの場合 | 女の一生 二部・サチ子の場合 | 侍 | |
カスタマーレビュー |
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価格 | ¥605¥605 | ¥781¥781 | ¥825¥825 | ¥990¥990 | ¥935¥935 | ¥990¥990 |
大病院を舞台に続発する奇怪な事件。背徳的な恋愛に身を委ねる美貌の女医。現代人の心の渇きと精神の深い闇を描く医療ミステリー。 | 苛酷な運命の中で、愛と優雅さを失うまいとする悲劇の王妃。激動のフランス革命を背景に、多彩な人物が織りなす華麗な歴史ロマン。 | 幕末から明治の長崎を舞台に、切支丹大弾圧にも屈しない信者たちと、流刑の若者に想いを寄せるキクの短くも清らかな一生を描く。 | 第二次大戦下の長崎、戦争の嵐は教会の幼友達サチ子と修平の愛を引き裂いていく。修平は特攻出撃。長崎は原爆にみまわれる……。 | 藩主の命を受け、海を渡った遣欧使節「侍」。政治の渦に巻きこまれ、歴史の闇に消えていった男の生を通して人生と信仰の意味を問う。〈野間文芸賞〉 |
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夫婦の一日 | 満潮の時刻 | 十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。 | 人生の踏み絵 | 影に対して 母をめぐる物語 | 【単行本】善人たち | |
カスタマーレビュー |
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価格 | ¥473¥473 | ¥649¥649 | ¥473¥473 | ¥605¥605 | ¥649¥649 | ¥1,870¥1,870 |
たびかさなる不幸で不安に陥った妻の心を癒すために、夫はどう行動したか。生身の人間だけが持ちうる愛の感情をあざやかに描く。 | 人はなぜ理不尽に傷つけられ苦しみを負わされるのか──。自身の悲痛な病床体験をもとに、『沈黙』と並行して執筆された感動の長編。 | 大作家が伝授する「相手の心を動かす」手紙の書き方とは。執筆から四十六年後に発見され、世を瞠目させた幻の原稿、待望の文庫化。 | もっと、人生を強く抱きしめなさい──。不朽の名作『沈黙』創作秘話をはじめ、文学と宗教、人生の奥深さを縦横に語った名講演録。 | 両親が別れた時、少年の取った選択は生涯ついてまわった。完成しながらも発表されなかった「影に対して」をはじめ母を描く六編。 | 戦前の米国で留学生が味わった悲劇を描く「善人たち」、名作を深く語り直す「戯曲 わたしが・棄てた・女」他、話題の新発見戯曲集! |
著者について
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(1923-1996)東京生れ。
幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、11歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。
一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。主な作品は『海と毒薬』『沈黙』『イエスの生涯』『侍』『スキャンダル』等。1995(平成7)年、文化勲章受章。1996年、病没。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年5月28日に日本でレビュー済み
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ペテロがキリストを、11人の弟子たちの安全と、引き換えに、キリストを売った。
ステファノの殺害が、ユダヤ教キリスト派過激派の全世界への拡散を招いた。
この時の、弾圧者が、パウロであった。
ユダヤ教キリスト派ー原始キリスト教団は、ユダヤ戦争のエルサレム陥落を生き延びた。
原始キリスト教団が、パウロにより、キリスト教集団になるまでの奇跡が描かれいる。
ステファノの殺害が、ユダヤ教キリスト派過激派の全世界への拡散を招いた。
この時の、弾圧者が、パウロであった。
ユダヤ教キリスト派ー原始キリスト教団は、ユダヤ戦争のエルサレム陥落を生き延びた。
原始キリスト教団が、パウロにより、キリスト教集団になるまでの奇跡が描かれいる。
2024年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『イエスの生涯』の続編として、新約聖書における使徒行伝にあたる部分を『キリストの誕生』としてまとめたキリスト教そのものの評伝が本書だ。
本書は使徒行伝の大きな疑問として、メシア(油を注がれた人)を意味するキリストになったかを立証する。
「無力だったこのイエスがなぜその死後、神の子とみなされたのか。彼が十字架にかけられた時、見棄てて逃亡したあの弟子たちがその後なぜ、命をかけてイエスの教えを広めようとしたのか。イエスはなぜ無力なるイエスから栄光あるキリストに変わったのか。弱虫だった弟子は何故、強い信念と信仰の持主になったのか。」
弟子たちは、十字架上のイエスが、自分を見棄てた弟子たちに罰を求めるのではなく、救いを祈ったことが衝撃だった。このときはじめて、弟子たちはイエスに自分の夢を託し、その夢を実現しえない無力な人、何もできない人と思っていたイエスに対し、生前語っていたことを少しづつ理解できるようになってきた。つまり、イエスの語ったイザヤ書52、53とイエスの十字架の現実が符号したのだ。このように、後で気づいたこと(点と点がつながった)ことは脳に深く刻み込まれる。
原始キリスト教団のリーダーはペトロだった。
彼の方針は、敬虔なユダヤ教徒だったイエスの従兄弟ヤコブを教団の指導グループに加えることと、イエスを死に至らしめた神殿を軽視しない態度をもつことだ。しかし、イエスの教えを純粋に信じる教団内のナザレ人のグループに対し、ユダヤ教の大司教と神殿を重視するサドカイ派は弾圧を行った。遠藤周作はこの弾圧がイエスを単なる愛の義人から、神的なものに高めたという。
原始キリスト教団には、ギリシア語を話すユダヤ人もいた。彼らの中にステファノが含まれ、食物配給の責務が与えられた。エルサレム神殿を重視する教団内の保守派であるヘブライ語を話すユダヤ人と、イエスのように神殿の価値を軽視しようとする革新派であるステファノのようなギリシア語を話すユダヤ人の間に対立が生まれた。
ギリシア語を話すユダヤ人は、ギリシア圏内からエルサレムに戻ったディアスポラユダヤ人だ。彼らにとり、馴染みの薄いエルサレム神殿の価値は低いのはあたりまえとも言える。
ステファノのはイエスと同じく、エルサレム神殿を否定する言葉を発言し続けた。かつてダビデに率いられたイスラエル人の遊牧の祖先たちが、その幕屋のなかで神を心から礼拝していた精神こそ、もっと純粋な神殿ではないかとステファノは言う。緊急裁判が開かれ、スティファノは石打の刑となった。イエスとスティファノは同じ理由で処刑されたのだ。しかし、ユダヤ人の群衆はスティファノの処刑だけでなく、スティファノグループにも襲いかかった。この迫害の先頭に立ったのがパウロだ。
イエスの死と同じように、スティファノの死に何もしなかったことにより、ペトロらは自分たちの弱さと卑怯な性格を再び味わわされることとなり、神殿礼拝から離れ、イエスを選ぶ態度をとることになった。ここからギリシア人にも布教がはじまり、はじめてユダヤ人以外にイエスの教えが浸透しはじめた。
スティファノグループを迫害したパウロは、スティファノを認めることは、今日まで律法を完全に守ってきた自分のアイデンティティーを否定することになる。「律法か、イエスか」という問いと向き合わざるを得なくなり、目の前の鱗が剥がれるようにイエスを信仰するようになる。
後年パウロは、「人は信仰によって、律法のわざなしに義とされる」「人は信仰によって祝福される、律法のわざによるものは、すべて呪いの下にある」と目の前の鱗がとれることになる。イエスの信仰はスティファノに伝承し、パウロに伝わったのだ。
遠藤周作によると、イエスの弟子の物語は合理的に解釈できない神秘(X)があるという。イエスがキリストとなった使徒行伝には「X」の存在を感じざるを得ない。それがイエスの神性につながるのだろう。
本書は使徒行伝の大きな疑問として、メシア(油を注がれた人)を意味するキリストになったかを立証する。
「無力だったこのイエスがなぜその死後、神の子とみなされたのか。彼が十字架にかけられた時、見棄てて逃亡したあの弟子たちがその後なぜ、命をかけてイエスの教えを広めようとしたのか。イエスはなぜ無力なるイエスから栄光あるキリストに変わったのか。弱虫だった弟子は何故、強い信念と信仰の持主になったのか。」
弟子たちは、十字架上のイエスが、自分を見棄てた弟子たちに罰を求めるのではなく、救いを祈ったことが衝撃だった。このときはじめて、弟子たちはイエスに自分の夢を託し、その夢を実現しえない無力な人、何もできない人と思っていたイエスに対し、生前語っていたことを少しづつ理解できるようになってきた。つまり、イエスの語ったイザヤ書52、53とイエスの十字架の現実が符号したのだ。このように、後で気づいたこと(点と点がつながった)ことは脳に深く刻み込まれる。
原始キリスト教団のリーダーはペトロだった。
彼の方針は、敬虔なユダヤ教徒だったイエスの従兄弟ヤコブを教団の指導グループに加えることと、イエスを死に至らしめた神殿を軽視しない態度をもつことだ。しかし、イエスの教えを純粋に信じる教団内のナザレ人のグループに対し、ユダヤ教の大司教と神殿を重視するサドカイ派は弾圧を行った。遠藤周作はこの弾圧がイエスを単なる愛の義人から、神的なものに高めたという。
原始キリスト教団には、ギリシア語を話すユダヤ人もいた。彼らの中にステファノが含まれ、食物配給の責務が与えられた。エルサレム神殿を重視する教団内の保守派であるヘブライ語を話すユダヤ人と、イエスのように神殿の価値を軽視しようとする革新派であるステファノのようなギリシア語を話すユダヤ人の間に対立が生まれた。
ギリシア語を話すユダヤ人は、ギリシア圏内からエルサレムに戻ったディアスポラユダヤ人だ。彼らにとり、馴染みの薄いエルサレム神殿の価値は低いのはあたりまえとも言える。
ステファノのはイエスと同じく、エルサレム神殿を否定する言葉を発言し続けた。かつてダビデに率いられたイスラエル人の遊牧の祖先たちが、その幕屋のなかで神を心から礼拝していた精神こそ、もっと純粋な神殿ではないかとステファノは言う。緊急裁判が開かれ、スティファノは石打の刑となった。イエスとスティファノは同じ理由で処刑されたのだ。しかし、ユダヤ人の群衆はスティファノの処刑だけでなく、スティファノグループにも襲いかかった。この迫害の先頭に立ったのがパウロだ。
イエスの死と同じように、スティファノの死に何もしなかったことにより、ペトロらは自分たちの弱さと卑怯な性格を再び味わわされることとなり、神殿礼拝から離れ、イエスを選ぶ態度をとることになった。ここからギリシア人にも布教がはじまり、はじめてユダヤ人以外にイエスの教えが浸透しはじめた。
スティファノグループを迫害したパウロは、スティファノを認めることは、今日まで律法を完全に守ってきた自分のアイデンティティーを否定することになる。「律法か、イエスか」という問いと向き合わざるを得なくなり、目の前の鱗が剥がれるようにイエスを信仰するようになる。
後年パウロは、「人は信仰によって、律法のわざなしに義とされる」「人は信仰によって祝福される、律法のわざによるものは、すべて呪いの下にある」と目の前の鱗がとれることになる。イエスの信仰はスティファノに伝承し、パウロに伝わったのだ。
遠藤周作によると、イエスの弟子の物語は合理的に解釈できない神秘(X)があるという。イエスがキリストとなった使徒行伝には「X」の存在を感じざるを得ない。それがイエスの神性につながるのだろう。
2018年5月1日に日本でレビュー済み
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原始キリスト教について理解が深まった感じですが、諸説ありそうなので鵜呑みにしないですが、読み物としてはとても面白いです。
2015年8月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
神としてではなく人として苦悩したイエスを描いた前著『イエスの生涯』に対して、処刑された後のイエスの復活の意味を問うた著書。
教えや奇跡で人々からの尊敬を集めていたイエスが、無抵抗のまま処刑されたとき、ほとんどの弟子たちは保身に走ったが、次第にその死の意味・理由を考え始める。
すなわち、著者は、イエスの「復活」に対しては、福音書に書かれたことの史実を問うのではなく、弟子の心の中にイエスが復活した意味を問うている。
ただし、その「復活」も、初めのうちは、長い歴史の中でしいたげられてきたユダヤ人に対して神が差し伸べる救いととらえられていた。
しかし、その布教が、生前のイエスを知らない使徒たちやユダヤ以外の異民族に広がるにつれ、その意味も、神による人間全体への救いととらえられ、より純粋かつ強固な信仰へと変わっていった。
教えや奇跡で人々からの尊敬を集めていたイエスが、無抵抗のまま処刑されたとき、ほとんどの弟子たちは保身に走ったが、次第にその死の意味・理由を考え始める。
すなわち、著者は、イエスの「復活」に対しては、福音書に書かれたことの史実を問うのではなく、弟子の心の中にイエスが復活した意味を問うている。
ただし、その「復活」も、初めのうちは、長い歴史の中でしいたげられてきたユダヤ人に対して神が差し伸べる救いととらえられていた。
しかし、その布教が、生前のイエスを知らない使徒たちやユダヤ以外の異民族に広がるにつれ、その意味も、神による人間全体への救いととらえられ、より純粋かつ強固な信仰へと変わっていった。
2023年2月7日に日本でレビュー済み
イエスという人間を描いた「イエスの生涯」の続編で、イエスが磔刑にあった後に神格化されてキリスト教として西欧に伝わっていくまでの経緯を描いたのが本書「キリストの誕生」です。
以前、西欧の学者による「イエス・キリストは実在したのか?」を読みましたが、日本人の遠藤周作さんが書いたこの2冊のほうが、イエスや弟子たち、またユダヤ教とローマの歴史について明確に理解する事ができました。英語にも翻訳されてキリスト教のお膝元の西欧でも高い評価を得ているというのが凄いです。
特に本書においては、キリスト教をあくまでユダヤ教の一派にとどめておこうとするペトロやヤコブたちエルサレム教会派と、異邦人にまで広げようとしたステファノやポーロ(パウロ)の考えや性格が浮き彫りにされている点が実に素晴らしく感じました。
最後の章でイエスがなぜ10年という短期間で神格化されたのだろうという難問について考えを述べられていますが、私は、さらに広げて世界三代宗教が紀元0年をの前後500年に登場したことに興味を持ちます。それはおそらく、それ以前だと航海術や文字による記録など文明が未熟すぎて広く教えが伝わらないし、それ以後だと文明が発達し過ぎて奇跡を醸成することが出来なかったからのように思えます。
ゴータマの死後も比丘たちが結集してゴータマが語った言葉を皆で拾い集めてその教えを確認したことも似ていますし、仏教の教えが狭い出家者の中だけで閉じられ戒律に縛られた上座部仏教(小乗仏教)と大衆向けの大乗仏教に分かれたことも同じだし、最後に大きく広がったのは大乗仏教だったことも同じなのは、民族は全く違うけれど人間という生き物の共通点のような気がします。
調べてみると現在のイスラエルにおけるキリスト教信者はほとんどいない(2%)なので、ステファノたちデイアスポラ(離散信者)が西欧圏にキリスト教を伝えていなければ、もしかしてキリスト教は消えていたかも知れません。これも現在のインドで仏教徒がほとんどいない(0.8%)ことに似ています。
以前、西欧の学者による「イエス・キリストは実在したのか?」を読みましたが、日本人の遠藤周作さんが書いたこの2冊のほうが、イエスや弟子たち、またユダヤ教とローマの歴史について明確に理解する事ができました。英語にも翻訳されてキリスト教のお膝元の西欧でも高い評価を得ているというのが凄いです。
特に本書においては、キリスト教をあくまでユダヤ教の一派にとどめておこうとするペトロやヤコブたちエルサレム教会派と、異邦人にまで広げようとしたステファノやポーロ(パウロ)の考えや性格が浮き彫りにされている点が実に素晴らしく感じました。
最後の章でイエスがなぜ10年という短期間で神格化されたのだろうという難問について考えを述べられていますが、私は、さらに広げて世界三代宗教が紀元0年をの前後500年に登場したことに興味を持ちます。それはおそらく、それ以前だと航海術や文字による記録など文明が未熟すぎて広く教えが伝わらないし、それ以後だと文明が発達し過ぎて奇跡を醸成することが出来なかったからのように思えます。
ゴータマの死後も比丘たちが結集してゴータマが語った言葉を皆で拾い集めてその教えを確認したことも似ていますし、仏教の教えが狭い出家者の中だけで閉じられ戒律に縛られた上座部仏教(小乗仏教)と大衆向けの大乗仏教に分かれたことも同じだし、最後に大きく広がったのは大乗仏教だったことも同じなのは、民族は全く違うけれど人間という生き物の共通点のような気がします。
調べてみると現在のイスラエルにおけるキリスト教信者はほとんどいない(2%)なので、ステファノたちデイアスポラ(離散信者)が西欧圏にキリスト教を伝えていなければ、もしかしてキリスト教は消えていたかも知れません。これも現在のインドで仏教徒がほとんどいない(0.8%)ことに似ています。
2023年9月13日に日本でレビュー済み
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遠藤周作氏は、聖書に書かれてないとこを勝手に想像している。聖書の福音記者を自分と同じレベルの小説家だと思っている。最初に顰蹙を買ったと自分で述べているが、顰蹙を買う理由が私にはよくわかります。
2023年2月21日に日本でレビュー済み
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この「キリストの誕生」は元々昭和53年に発行され、その5年前に刊行された「イエスの生涯」の続編もといえる作品です。とはいってもイエス・キリスト自身に焦点を当てているわけでは無く、著者がこの作品で注目していることのひとつは、イエスの死後、そして復活後の弟子たちの「人間臭さ」です。
先日「イエスの生涯」のアマゾンのレビューで、皆が遠藤氏の見解に賛同することはないでしょう、と書いたのですが、この「キリストの誕生」の本文の最初のページで、先の本が一部で顰蹙をかい批判されたが、氏の考えは変わっていないと書かれており、少しハッとしました。しかし遠藤氏の場合、思い付きで持論を述べている訳ではなく、まずかなりの量の読書をされたのではと思われます。ただこの作品は聖書学者らの説の紹介、引用が多いこともあり、旧約も含め聖書に余程詳しくない限りスラスラと読み進められないかもしれません。
この作品ではパウロ(本書では「ポーロ」)に多くのページが割かれています。「イエスの生涯」で「無力」で愛のみに生きたイエスと律法でがんじがらめのユダヤ教の司祭階級が対比されているとしたら、「キリストの誕生」はペトロをはじめとする「弱虫」の弟子たちと、「烈しい」パウロを対比している部分が多いと思います。(この「烈しい」という形容詞がパウロの性格に関して何回も使われています。)大雑把にいうと、律法と神殿をことさら重要視するエルサレムのユダヤ教の派閥の顔色を窺いつつ「ユダヤ教の枠内で」布教活動を行おうとしたペトロ、それに対しパウロは以前はユダヤ教徒として(原始)キリスト教徒を迫害していたものの、律法自体に絶望し、しかも生前のイエスに会ったことがない故か、復活前の「イエス」にではなく、人間の全ての罪を背負うべく神により地上に送られた「キリスト」にのみ意味を見出している、というのが遠藤氏の見解です。そしてその「烈しい」性格も手伝って、「ユダヤの枠を超えて」布教を行ったというところがペトロと大きく違うところです。
本作品で遠藤氏は原始キリスト教団のメンバーらをイヤな面も備えた「人間」として描写されています。また福音書作家のルカがいかにローマの官憲に気を使っていたか、さらに使徒行伝が「例によって」必ずしも正確に全てを伝えていない、と一度ならず述べられており、「そこまで言いますか」と少しハラハラしました。
そして遠藤氏が疑問に思うのは、地上で「無力」だったイエスが一体どうして「弱虫」達を信念の使徒に変え、神格化された「キリスト」となったのかということです。これについては氏はただイエス自身になにか「ふしぎ」の「X」があったからとしか言いようがない、という結論です。しかしそれが「謎」であっても、遠藤氏はキリスト教を合理的に説明のつかない荒唐無稽なものと批判している訳では全くなく、そのあたりは妙に安心しました。
この作品においても遠藤周作氏の見解に全ての人が賛同することは無いでしょう。しかし、このたった250ページ程の本により、遠藤氏(独自)の洞察力、想像力を手助けに、聖書の世界が以前よりも少し身近に感じられるようになるかもしれません。
先日「イエスの生涯」のアマゾンのレビューで、皆が遠藤氏の見解に賛同することはないでしょう、と書いたのですが、この「キリストの誕生」の本文の最初のページで、先の本が一部で顰蹙をかい批判されたが、氏の考えは変わっていないと書かれており、少しハッとしました。しかし遠藤氏の場合、思い付きで持論を述べている訳ではなく、まずかなりの量の読書をされたのではと思われます。ただこの作品は聖書学者らの説の紹介、引用が多いこともあり、旧約も含め聖書に余程詳しくない限りスラスラと読み進められないかもしれません。
この作品ではパウロ(本書では「ポーロ」)に多くのページが割かれています。「イエスの生涯」で「無力」で愛のみに生きたイエスと律法でがんじがらめのユダヤ教の司祭階級が対比されているとしたら、「キリストの誕生」はペトロをはじめとする「弱虫」の弟子たちと、「烈しい」パウロを対比している部分が多いと思います。(この「烈しい」という形容詞がパウロの性格に関して何回も使われています。)大雑把にいうと、律法と神殿をことさら重要視するエルサレムのユダヤ教の派閥の顔色を窺いつつ「ユダヤ教の枠内で」布教活動を行おうとしたペトロ、それに対しパウロは以前はユダヤ教徒として(原始)キリスト教徒を迫害していたものの、律法自体に絶望し、しかも生前のイエスに会ったことがない故か、復活前の「イエス」にではなく、人間の全ての罪を背負うべく神により地上に送られた「キリスト」にのみ意味を見出している、というのが遠藤氏の見解です。そしてその「烈しい」性格も手伝って、「ユダヤの枠を超えて」布教を行ったというところがペトロと大きく違うところです。
本作品で遠藤氏は原始キリスト教団のメンバーらをイヤな面も備えた「人間」として描写されています。また福音書作家のルカがいかにローマの官憲に気を使っていたか、さらに使徒行伝が「例によって」必ずしも正確に全てを伝えていない、と一度ならず述べられており、「そこまで言いますか」と少しハラハラしました。
そして遠藤氏が疑問に思うのは、地上で「無力」だったイエスが一体どうして「弱虫」達を信念の使徒に変え、神格化された「キリスト」となったのかということです。これについては氏はただイエス自身になにか「ふしぎ」の「X」があったからとしか言いようがない、という結論です。しかしそれが「謎」であっても、遠藤氏はキリスト教を合理的に説明のつかない荒唐無稽なものと批判している訳では全くなく、そのあたりは妙に安心しました。
この作品においても遠藤周作氏の見解に全ての人が賛同することは無いでしょう。しかし、このたった250ページ程の本により、遠藤氏(独自)の洞察力、想像力を手助けに、聖書の世界が以前よりも少し身近に感じられるようになるかもしれません。