『高校生のための批評入門』(梅田卓夫・清水良典・服部左右一・松川由博編、ちくま学芸文庫)には、51篇の文例が収められています。
「批評とは、世界と自分をより正確に認識しようとする心のはたらきであり、みなさんの内部で日々『生き方をみちびく力』としてはたらいているものです。この本は、そのような力として批評が生まれる現場へみなさんを案内することを意図して編集されました。だからこの本は、論文の読み方や書き方などの当面の技術を教えるものではありません。『批評が生まれる現場』に即して、みなさん自身のものの見方や考え方を訓練する、いわば『生き方のワークブック』なのです」。
とりわけ興味深いのは、●「断層」(中上健次)、●「長い話」(黒澤明)、●「掟」(フランツ・カフカ)――の3篇です。
●『十八歳、海へ』の「断層」
こうコメントされています。「世の中で最も身近な存在と思っていた親や兄弟との間にいつしか溝が生まれ、亀裂が深まってゆく時間がある。家族という共同体の中で、『個』を自覚するからである。いつの時代であっても、青年はそれを避けて通ることはできない」。
●『蝦蟇の油』の「長い話」
「世界で最も尊敬されている日本人の一人『クロサワ』監督にも、新米の修業時代があった。彼を教え鍛えた有名無名の技術者や職人たちの仕事ぶりが脈々と受け継がれて、日本映画の黄金時代は花開いたのだ」と、コメントされています。
「さて、私がどうやらシナリオを書けるようになると、山さんは、私に編集をやれ、と言った。監督になるためには、編集ができなければならないことは、私にも解っていた。編集は、映画における画竜点睛の作業だ。撮影したフィルムに命を吹き込む仕事だ。・・・山さんは、編集の腕も一流で、自分の作品の編集は、自分でさっさとやってのけて、そのエディターは、それを見ていて、ただ、フィルムを継ぐだけだったが、助監督(の私)が自分の仕事に手を出すのは、勘弁ならなかったのだろう。・・・編集について、私が山さんから学んだことは山ほどあるが、その中で最も大切だと思ったことは、編集の時、自分の仕事を客観的に眺められる能力が必要だ、ということだ。山さんは、苦労して撮影した自分のフィルムを、まるでマゾヒストのように切った。・・・切れる! 切ろう! 切る! 編集者の山さんは、まるで殺人狂だった。切るくらいなら、撮らなければよいのに、と思ったこともある。私も苦労したフィルムだから、切られるのは辛い。しかし、監督が苦労しようが、助監督が苦労しようが、キャメラマンやライトマンが苦労しようが、そんなことは、映画の観客の知ったことではない。要は、余計なところのない、充実したものを見せることだ。撮影する時は、もちろん、必要だと思うから撮影する。しかし、撮影してみると、撮影する必要がなかったと気がつくことも多い。いらないものは、いらないのである。ところが、人間、苦労に正比例して、価値判断をしたがる。映画の編集には、これが一番禁物である。映画は時間の芸術、と言われているが、無用な時間は無用である。編集について、山さんに学んだことの中で、これが最も大きい教訓であった」。因みに、この「山さん」とは、映画監督の山本嘉次郎のことです。
●『ある流刑地の話』の「掟」
この「掟」を読んで驚きました。カフカの長篇『城』と全く同じモチーフで書かれているではありませんか。『城』は難解だと途中で投げ出した人には、この3ページの「掟」を読むことをお勧めします。カフカが『城』で言いたかったことが、ぎゅっと凝縮しているからです。

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高校生のための批評入門 単行本 – 1987/4/1
梅田 卓夫
(編集)
「批評は『する』ものではなく、既に『ある』ものである」と編者は言う。日々感じる「違和感」「驚き」「怒り」などをひとつひとつ丁寧に拾い上げ、その原因を突き詰め、答えをきちんと言葉で表現することで、「私」と「私を取り巻く世界=他者」のあり方を捉え直す。そんな「前向きに生きる」うえでのやむにやまれぬ行為がつまり「批評」なのだ。 考えてみれば、無意識に誰もが始終やっていることだった。もっとも大抵は、都合の良い、手近な答えでお茶を濁し、日常の雑事の中に逃げ込んでしまうわけだが。 そんな「堪え性のない人々」に本書が指し示したのが、国内外の「粘り強く批評し続けた先人たち」、B・バルトーク、G・ギッシング、花田清輝、S・ソンタグ、J・グルニエ、S・ボーヴォワール、山下洋輔、黒澤明、A・ジャコメッティ、澁澤龍彦、F・カフカ、サン=テグジュペリ、W・ベンヤミンら51人が著した51編のアンソロジーである。 それぞれの批評精神を読み解き、そこで得た答えをさらに独自の批評へと発展させていく。そんななかで「高校生にはうまく立ち回って点をかせぐ“学力”よりも、“生き方を支える力”を身につけてもらいたい」というのが編者たちの願いだ。大人たちも遅くはない、今から始めよう。「批評の門」はいつでも開け放たれているのだから。(中山来太郎)
- ISBN-104480917055
- ISBN-13978-4480917058
- 出版社筑摩書房
- 発売日1987/4/1
- 言語日本語
- 本の長さ224ページ
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商品の説明
商品説明
「批評は『する』ものではなく、既に『ある』ものである」と編者は言う。日々感じる「違和感」「驚き」「怒り」などをひとつひとつ丁寧に拾い上げ、その原因を突き詰め、答えをきちんと言葉で表現することで、「私」と「私を取り巻く世界=他者」のあり方を捉え直す。そんな「前向きに生きる」うえでのやむにやまれぬ行為がつまり「批評」なのだ。
考えてみれば、無意識に誰もが始終やっていることだった。もっとも大抵は、都合の良い、手近な答えでお茶を濁し、日常の雑事の中に逃げ込んでしまうわけだが。
そんな「堪え性のない人々」に本書が指し示したのが、国内外の「粘り強く批評し続けた先人たち」、B・バルトーク、G・ギッシング、花田清輝、S・ソンタグ、J・グルニエ、S・ボーヴォワール、山下洋輔、黒澤明、A・ジャコメッティ、澁澤龍彦、F・カフカ、サン=テグジュペリ、W・ベンヤミンら51人が著した51編のアンソロジーである。
それぞれの批評精神を読み解き、そこで得た答えをさらに独自の批評へと発展させていく。そんななかで「高校生にはうまく立ち回って点をかせぐ“学力”よりも、“生き方を支える力”を身につけてもらいたい」というのが編者たちの願いだ。大人たちも遅くはない、今から始めよう。「批評の門」はいつでも開け放たれているのだから。(中山来太郎)
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1987/4/1)
- 発売日 : 1987/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 224ページ
- ISBN-10 : 4480917055
- ISBN-13 : 978-4480917058
- Amazon 売れ筋ランキング: - 82,318位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 26位社会学の論文・講演集
- - 1,377位日本文学研究
- - 5,410位語学・辞事典・年鑑 (本)
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2019年5月12日に日本でレビュー済み
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別冊と合わせて読むと良いとありながら、別冊はどこにも見当たらない。
2019年9月7日に日本でレビュー済み
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IBを教えています。中3、高1クラスに読ませたい作品がたくさん収録されています。自分が読んで面白いと感じれば、やはり教材に使いたくなります。間にある解説も大変面白いものばかりです。
2016年7月29日に日本でレビュー済み
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★★★★★!!何の期待感も無く、ほかの書籍と一緒に ”ついで” に購入したのですが、読んでビックリ。この本は高校生だけで無く老若男女多くの方に読んで頂きたい、希に見る良本です。短いけれど数ページにおいて完結する これだけ秀逸なエッセー・小説・詩・雑文を集めるのは奇跡的仕事と言って過言ではありません。「批評入門」と題されていますが、この本は、編集者・選者の「批評精神」「見識」に裏打ちされた将来も長く読み継がれていくべきリベラルアーツの名著です。中高生を含む全ての生徒・学生、全ての年齢層の成人、全ての職業人、全ての学問分野の研究者の方々に、強く推薦致します。こんな本を高校生のときに読んでいたら私の人生は変わっていたかも知れません。
2013年11月6日に日本でレビュー済み
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チェルノブイリ原発に対する安岡の文章と、それに対する批評の文章は見もの。
2013年10月20日に日本でレビュー済み
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本は古いですが、批評する考え方の勉強になりました。紹介されている本の中には手に入らないものもありますが、いろいろな本の種類と内容を知ることができ、勉強になりました。繰り返し読んでいます。