米朝師匠のCDだと「どうらんの幸助」とひらがなで書いてある。
どういう意味なのだろうと思った。
「喧嘩の仲裁が趣味のおやっさんだから、”動乱”ということなのか?違うような・・・」
と思いながらも、いつしか気にしないようになっていた。
しかし、文珍師匠のCDには「胴乱の幸助」と漢字で書いてある。
でも、”胴乱”ってなに?
”胴が乱れる”という意味だから・・・
→ものすごい下痢
→物凄く太った人がアタフタして、胴の肉が、ユサユサ、タップンタップンしている有様
手元にある、薄い安い国語辞典にはこう書いてある。
→植物採取用の容器
そうだ、思い出した。小学校の理科の時間や植物図鑑で見た、円筒形の肩掛けカバン!
そうなのか。何の趣味もない、楽しみといえば喧嘩の仲裁だけと言われていた、このおやっさんは、実は、植物採取が隠れた趣味!
しかし、このどれでもなかった。
文珍師匠は、噺のなかで「袋みたいな大きな胴乱に金入れて歩いている・・・」とかなんとか言っている。
そこで思い出した。今の世にはネットという便利なものがあることを!
画像がいっぱい出てくる。
こんなものなんだ。
結論、この噺は、”胴乱”がどんなものかを知らなくても、特に問題はない。
老楽風呂
”老子曰く、無の用”とか、”さかしらな心を取り去り、無我の境地に至る”・・・とか
この噺を理解するには、禅寺に籠り、修行を積み、悟りの境地とまではいかずとも、その入り口に毛の先ほどでも入れるような境地にならなければ・・・
ということはないとは思うが、
確かに、私も仕事してた時には、
「電話、メール、誰か来た、何を言いに来たんだ、またメール、直に会って話した方がいいぞ・・・また、電話来た・・・”今週中に何とか”って言ってるけど、今、金曜の夜の七時だぞ・・・」
こんなことに、やりがいとか何か感じていたような気がしていたが、今にして思えば、無理なことして思いっきりストレスためてたんだ。
今では、酒量も減った。以前は、γーGTPが200以上は当たり前で、年取ったのだから、せめて、200以下にしようとして、実際にそうなったら「やろうと思えばできるものなんだな」などと思ったものだが、
今では、普通に正常値。健康だ。
このまま年取って死ぬんだろうけど、そんなこと気にしてもしょうがない。とりあえず毎日生きている。生きてこんなこと書いている。ボーっとして生きていればいいのか。
(でも、そんなことしてると、公共放送では、五歳の女の子に叱られると言っている・・・)