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ことばと国家 (岩波新書 黄版 175) 新書 – 1981/11/20
田中 克彦
(著)
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- ISBN-104004201756
- ISBN-13978-4004201755
- 出版社岩波書店
- 発売日1981/11/20
- 言語日本語
- 寸法10.3 x 2.1 x 18.2 cm
- 本の長さ218ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1981/11/20)
- 発売日 : 1981/11/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 218ページ
- ISBN-10 : 4004201756
- ISBN-13 : 978-4004201755
- 寸法 : 10.3 x 2.1 x 18.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 33,660位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 183位岩波新書
- - 210位言語学 (本)
- - 1,395位評論・文学研究 (本)
- カスタマーレビュー:
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2022年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ことばが政治と結びついていること、ヨーロッパの言葉の歴史がわかりやすかった。自分の中の無意識の偏見を知った。ことばは正誤ではなく採用である、の部分は私の考え方を変えた。息子のことばを訂正していたが、そういうことではないのだ。ことばから社会を見ることもできて面白いと思った。
2018年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
外国語を学び始めた20年前(高校生の頃)に読み、言語の世界に引き込まれて以来、ずっと探して
いたこの本をアマゾンで見つけて購入しました。
外国語を勉強するか否かは別にして、日本語を含め、「言語」そのものに興味や疑問を抱く人には
読む価値があります。「言語とは何か」という疑問を持たなかったり、言語を取り巻く問題に関心
を持たずに外国語を勉強している人には小難しく、逆に、外国語を学び始めたばかりの人でも、言
語に関して様々な疑問を抱いたり、考察・分析する好奇心・探求心がある人には大変有益でしょう。
主な内容:言語(標準語、公用語)と方言の違い、母語と母国語の定義(70年代の日本での出来事、
ラテン語とゲルマン語の事例に基づく)、日本の「国語」という言葉の考察、言語と国家の関係
(フランスの言語政策やイディッシュ語の事例)、ヨーロッパの少数言語の事情など。
いたこの本をアマゾンで見つけて購入しました。
外国語を勉強するか否かは別にして、日本語を含め、「言語」そのものに興味や疑問を抱く人には
読む価値があります。「言語とは何か」という疑問を持たなかったり、言語を取り巻く問題に関心
を持たずに外国語を勉強している人には小難しく、逆に、外国語を学び始めたばかりの人でも、言
語に関して様々な疑問を抱いたり、考察・分析する好奇心・探求心がある人には大変有益でしょう。
主な内容:言語(標準語、公用語)と方言の違い、母語と母国語の定義(70年代の日本での出来事、
ラテン語とゲルマン語の事例に基づく)、日本の「国語」という言葉の考察、言語と国家の関係
(フランスの言語政策やイディッシュ語の事例)、ヨーロッパの少数言語の事情など。
2020年4月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学校の課題のため購入しました。現在3年生ですが、2年生までに習ったことの復習をするきっかけにもなりました。
日本人で日本語を話し日本に住む私にはない感覚にこの本を通して触れることができたと思います。
日本人で日本語を話し日本に住む私にはない感覚にこの本を通して触れることができたと思います。
2015年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
【ツカミ】
公務員がフランス語以外の方言で文書を作製し、署名した場合、6ヶ月の禁固のあと罷免に処す。 :::::::::::::::::1794年、フランス革命政府の法律 〜p77
【購入理由】
「あまちゃん」の大友良英ヨシヒデさんの本(岩波新書)に、「わがバイブル」と紹介されていたので古本購入。
【内容】
ラテン語は、宗教・政治関係者にとって、権威をひとりじめし、宗教的秘儀ヒギ性をたもつための道具であったが、
ダンテは、書き言葉を民衆に開放するために、俗語(口語)をラテン語に取り込むことでイタリア語をつくったわけだが、
同じようなことは、日本語においては、紫式部や夏目漱石や村上春樹によってやられており、
ぎゃくにいえば、書き言葉は、しばらくほっておくと「秘儀」のほうへこりかたまってしまうもんや。
【追加】
ちなみに この田中さんは「いまの日本語文章でもまだまだ固すぎるから もっと柔らかくしてグワグワにして 小学校で習う漢字と平仮名だけを使用すべきだ」 というくらいのとこまで行ったらしい。 wikipedia によると。
これは、ひょっとしたら、田中さんがモンゴル研究したせいかもしれない。モンゴルでは新語をつくることをいやがり、例えば「地下鉄」という言葉をつかうくらいなら「土のなかを走る馬の車みたいなもの」というふうに、元々ある言葉に開くそうだ。(少し古い情報だが。)
【内容】
だからまあ、「漢語と和語、やまとことば」、「話し言葉と書き言葉」という、数十年前までは真剣に議論された問題をあつかっている。
【雑談】
・ちなみに、、、数年前に、文盲のひとと知り合いだったのだが、その人は笑いに関しては、ぼくがこれまで知りあったどの人よりも面白かったし、知識も豊富であり、それを物語る技術においてもスゴく、しかも人間性もすばらしかった。
・あと、あれやな、ディスレクシア、識字障害の天才たちはどうなるのかという。。
【疑問】
なお、冒頭のフランスの話だが、えらい極端だなあってのもあるが、フーコーとかデリダ(およびその日本語翻訳者たち)って「秘儀性」そのものだよなあってのもあって、フランスってなんかオカシイんじゃないかと思い始めた最近。
公務員がフランス語以外の方言で文書を作製し、署名した場合、6ヶ月の禁固のあと罷免に処す。 :::::::::::::::::1794年、フランス革命政府の法律 〜p77
【購入理由】
「あまちゃん」の大友良英ヨシヒデさんの本(岩波新書)に、「わがバイブル」と紹介されていたので古本購入。
【内容】
ラテン語は、宗教・政治関係者にとって、権威をひとりじめし、宗教的秘儀ヒギ性をたもつための道具であったが、
ダンテは、書き言葉を民衆に開放するために、俗語(口語)をラテン語に取り込むことでイタリア語をつくったわけだが、
同じようなことは、日本語においては、紫式部や夏目漱石や村上春樹によってやられており、
ぎゃくにいえば、書き言葉は、しばらくほっておくと「秘儀」のほうへこりかたまってしまうもんや。
【追加】
ちなみに この田中さんは「いまの日本語文章でもまだまだ固すぎるから もっと柔らかくしてグワグワにして 小学校で習う漢字と平仮名だけを使用すべきだ」 というくらいのとこまで行ったらしい。 wikipedia によると。
これは、ひょっとしたら、田中さんがモンゴル研究したせいかもしれない。モンゴルでは新語をつくることをいやがり、例えば「地下鉄」という言葉をつかうくらいなら「土のなかを走る馬の車みたいなもの」というふうに、元々ある言葉に開くそうだ。(少し古い情報だが。)
【内容】
だからまあ、「漢語と和語、やまとことば」、「話し言葉と書き言葉」という、数十年前までは真剣に議論された問題をあつかっている。
【雑談】
・ちなみに、、、数年前に、文盲のひとと知り合いだったのだが、その人は笑いに関しては、ぼくがこれまで知りあったどの人よりも面白かったし、知識も豊富であり、それを物語る技術においてもスゴく、しかも人間性もすばらしかった。
・あと、あれやな、ディスレクシア、識字障害の天才たちはどうなるのかという。。
【疑問】
なお、冒頭のフランスの話だが、えらい極端だなあってのもあるが、フーコーとかデリダ(およびその日本語翻訳者たち)って「秘儀性」そのものだよなあってのもあって、フランスってなんかオカシイんじゃないかと思い始めた最近。
2015年2月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
言葉と国家という表題だが、実は言葉と人間の本質的な関わりを説いている。
文学、たとえば俳句をあげれば、季語だ切れ字とかは、あくまでその場で作られたルールに過ぎず、もっと広い文学、人の心というレベルで鑑賞するべきものだと痛感させられました。
文学、たとえば俳句をあげれば、季語だ切れ字とかは、あくまでその場で作られたルールに過ぎず、もっと広い文学、人の心というレベルで鑑賞するべきものだと痛感させられました。
2012年3月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても興味深く読ませて貰ったと思ひます。そして、一読して感じましたのは、私が今まで読んで来たタイプとは異なる文筆家ではとの印象を持ちました。何故なら、いはゆる「保守的言語エリート」と思はれる方々の論策へのコメントが思はぬ観点から発せられてゐる事を何度も発見したからです。とは言へ、書かれてゐる内容は大半が首肯できるものばかりでした。
元々月曜物語の「最後の授業」が描かれた舞台がドイツ語、ドイツ文化の背景があったのではないかと個人的に推測して来たので、それに関連する情報が本書に掲載されてゐると知って急遽取り寄せたわけでありました。読んでみまして予期してゐた以上のはっきりした物言ひには驚きました。「最後の授業」に出て来るアルザスの人々にとって母語はフランス語ではなかったとの指摘は明快そのものでありました。フランス語が言語帝国主義のやうな抑圧を国内のブルトン語、オック語、バスク語、カタロニア語、アルザス語に強固に加へて来たさまも分かつて来ました。
又、ことばは国家の力、政治の力を抜きにして考へる事の難しさも実感しました。筆者は、母語と母国語の違ひを明確に理解し、国家語、国語の持つニュアンスにも精通してゐる言語学者であり、俗語と文法についての理解は生きてゐる今の視点を見つけてゐます。言語社会学の啓蒙家と言っていい達人の領域に至ってゐる人物かと思ひます。新しい言語社会学の観点を案内してくれる良書であります。
元々月曜物語の「最後の授業」が描かれた舞台がドイツ語、ドイツ文化の背景があったのではないかと個人的に推測して来たので、それに関連する情報が本書に掲載されてゐると知って急遽取り寄せたわけでありました。読んでみまして予期してゐた以上のはっきりした物言ひには驚きました。「最後の授業」に出て来るアルザスの人々にとって母語はフランス語ではなかったとの指摘は明快そのものでありました。フランス語が言語帝国主義のやうな抑圧を国内のブルトン語、オック語、バスク語、カタロニア語、アルザス語に強固に加へて来たさまも分かつて来ました。
又、ことばは国家の力、政治の力を抜きにして考へる事の難しさも実感しました。筆者は、母語と母国語の違ひを明確に理解し、国家語、国語の持つニュアンスにも精通してゐる言語学者であり、俗語と文法についての理解は生きてゐる今の視点を見つけてゐます。言語社会学の啓蒙家と言っていい達人の領域に至ってゐる人物かと思ひます。新しい言語社会学の観点を案内してくれる良書であります。
2022年7月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
田中克彦氏の主著にして名著。言語に関して考えるためのヒントをたくさん与えてくれる。しかし与えられたヒントに基づき読者が自ら考えると、果たして著者は自分の主張を考え抜いたのだろうかと疑問を持たざるを得ないのである。田中氏は9頁でこう述べている「あることばが、独立の言語であるのか、それともある言語に従属し、その下位単位をなす方言であるのかという議論は、そのことばの話し手の置かれた政治状況と願望によって決定される」と。つまり言語とは人間の社会的構築物であり、決して人間の意識から独立して客観的に存在するものではないということである。このように理解してよいということは田中氏の他の著作からも明らかである。『言語からみた民族と国家』において田中氏は「日本語」とは「無数の町村語、諸地方語の上にかぶせられた大風呂敷」であり、決して実在しない「まぼろし」だと述べている。僕も年齢とともに多少の教養を身に着け、構築主義という考え方に慣れたので、今では、田中氏のこのような主張にも驚かないが、30年以上前の学生時代には田中氏の主張に大いに刺激を受けたものだった。田中氏の著作は今でも若い読者を大いに刺激する力を持っているとボクは信じている。だが、田中氏自身は本当に考え抜いたと言えるだろうか。田中氏によれば、日本語も含めた独立の言語とは社会的構築物であり、客観的には存在しない。このような氏の主張にはボクも同意する。しかし、田中氏は続けてこう述べている、「民族」を「言語によって定義する方法は」「あらゆる科学的思想に共通である」と。(13頁)ここから極めて面白い理論的帰結が生じる。一方で言語は客観的に存在しない。他方で民族は言語によって定義され、言語によって区別される。民族を区別すべき言語が客観的には存在しないとすれば、民族の区別も客観的には存在しないということになるし、言語をその本質とする民族も客観的には存在しないということになる。田中氏がこのような論理的帰結について考えていなかったであろうことは後の著作から明らかとなる。おそらくはベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』などが念頭にあったのだろう。『言葉のエコロジー』でこのように述べている。「民族が虚構だと言いたければ言ってもよい。しかし言語が虚構であるとは容易には言えないだろう。」(ちくま学芸文庫226頁)しかし言語が虚構であると主張したわけではないにしても、言語が客観的には存在しないと主張したのは、田中氏自身である。田中氏は「想像の共同体」概念を言語学的に基礎づけていることに自分では気づいていないのだ。おそらくは田中氏の自らの理論的な矛盾に気づいたのだろう。次のように述べて矛盾を回避しようとする。「人間が言語、具体的にはそれぞれの母語の束縛から逃れることはほとんど不可能だからである、」と。私にとって私の母語が実在することは自明だが、母語の存在によって言語の客観的存在が裏付けられるわけではない。母語の共同体は社会的な構築物なのだから。いつも思うことではあるが、読書は勉強の出発点であって、完成ではない。どんな本でも批判的に摂取し、著者が与えてくれるヒントから自ら考えなくては、せっかくのヒントを無駄にしてしまう。